2024,4,19 ピンポンとスーパーカー

Netflixでピンポンのアニメが見れるようになっていた。

数ヶ月前、古本市場で買った鉄コン筋クリートにどハマりしたことから、ゆるっと松本大洋ブームが来ていた。

 

数年前に兄が「『ピンポン』って漫画知ってるか?絵が癖あるけど漫画もアニメも実写映画もめちゃくちゃおもろいらしいねん。買おうか迷ってるんやけど」と話をしていたが、「卓球漫画がおもろい訳あるかい!ほんで変な絵やなこれ、ようみいひんわ」と突き放してしまったことをこの上なく後悔している。

 

鉄コン筋クリートですっかり松本大洋にハマってしまったことから、いろんな記事などで彼の作品について調べた。個人的には作家でも芸人でもアーティストでもなんでも、作品と作り手のバックグラウンドを無理やり結びつける感じは嫌いなのだが、なんとなく気になったので色々調べていた。ほんで大体どの記事を読んでも、ピンポンの話が出てくるもんだからここ最近はいつピンポンの漫画を買おうかという感じだった。ちょうどその時にアニメが見れるようになったので、当然一気見した。

 

アニメがあまりにも良かったので、Amazonプライムでレンタルできる実写映画の方も即レンタルしてこれもすぐみた。

いずれも、これまで見てきたものの中で群抜けに良かった。

 

これまでそれなりに漫画を読んできた中で、結局スラムダンクとキングダムの面白さに敵うものはないとあらゆる場所で主張してきたが、間違いなくこん中にピンポンも入ってくる。まだ漫画は未読やけど。とりあえずアニメの中ではブチ抜けて面白かった。

 

大学生も終えた今見てこんなにアツくなれる作品があるか!?卓球で!?11話完結やのに!?という感じ。

ペコ、スマイル、アクマ、チャイナ、ドラゴン 全員に憧れるし同情する。

才能と嫉妬と挫折にスポ根が絶妙な塩梅で入ってるおかげで、グサグサ刺さりながらも爽やかに感動を得られるバランス、神がかってる。

 

個人的な話をすると、スラムダンク以降、割と意識的にスポーツ漫画は避けて生きてきた。

というのも、高校でサッカー辞めたことに対してえげつないコンプレックスを抱えていたので、スポーツ作品含め熱い系の作品やら、それこそ高校サッカー、野球やら何かにつけて傷がゴリゴリに抉られる。と思っていた。

 

幼稚園の時にすぐ近くの公園でサッカースクールがやってたことからサッカーを初めて、そこにいためちゃくちゃサッカー上手い友達がなんかチームの中でも「育成コース」なるものに通っているらしいということを聞いて、後を追うように自分もそこに入れてもらった。

当然サッカーは当時ヘタクソだったが、親に「リフティング10回できたら入っていいよ」て言われたことで毎日めちゃくちゃ泣きながら夜までリフティングしていたことを覚えている。

やっとのことで育成チームに入ることを認めてもらえて、指導者やチームメイト、周囲の環境にも恵まれてなんだかんだでチームとしてかなり強い方になった。

依然足は遅いし体格もヒョロかったし気は弱いから多分サッカーには向いてなかったけど、リフティングだけは努力に比例して面白いほど回数が伸びてくるので、常にチーム内で一番であろうとしていた。最高記録が出たらみんなに言って、他の奴がそれを上回ったらまたアホみたいに夜まで泣きながら越えるまでリフティングして、、を繰り返して、気づいたら小4で1万回くらいできるようになっていた。それ以降は回数にこだわる雰囲気じゃなくなってきたけど、それなりの努力の甲斐あって足元のテクもなんだかんだ身についたし、何より努力を認めてもらえて上のカテゴリに呼んでもらえるようになった。

チームとしてもヘラヘラしたチームだったので、ヘラヘラしつつもサッカーがめちゃくちゃ上手い人間の中、ビクビク真面目にやってようやく張り合えるようになってたなあと思う。真面目やから副キャプテンにもなったりして、なんだかんだで上の学年でも県優勝のメンバーになれて6年生の頃も県優勝と全国大会を経験できた。

ただなんせ気が弱かったので、学年が上がってよりシビアになってくる中で敵味方問わず厳しい声が増えてくるとめちゃくちゃ萎縮して「早よ終われ終われ終われ、、、ベンチ下げてくれ下げてくれ下げてくれ、、、、」と思いながらプレーしていた。

あとは普通に当時からめちゃくちゃ隠れ厨二病だったので、「闘魂出す感じとか、競り合いとかダサいって笑」と考えていたせいで、スマートに勝つ(と当時まじで自分では思っていた)のこそがカッコいいという考えのもとで競争心たるものが見事に磨耗していった。

 

中学に入ると、小学校時代県選抜関西選抜がモリモリいるクラブチームでオドオドしながらプレーしていた自分でも部活の中ではそれなりに輝けるわけで、見事に入学直後から鼻をグングングングン伸ばし始めた。普通にいかつい人間が多かったので人間としては依然ビビり散らかしていたが、3年生のBチームの試合にも出してもらえてるし!とか思いながらBチームの試合でパスせずに自分でシュートまで打ってドヤ顔することもあった。今思えばまじで恐ろしいことをしていた。

ただやっぱり中学生の社会は怖いので、段々先輩をはじめチームメイト、部活以外の友人などいろんな目が気になりだす。どういうきっかけかはいまいち覚えていないが、中1の夏ぐらいには、元々大して上手くないくせにプライドはあって、かつミスすることを過剰に恐れるというめちゃくちゃ厄介な人間になっていたと思う。多分、よくある調子の悪い日から始まり、気付けば自覚もないくらい萎縮しながらプレーすることが当然になっていた。

小学校のリフティングの頃くらい素直に努力できれば良かったものの、相変わらず変なプライドと厨二病のおかげで、サッカー自体を投げ出してしまった。そこからは悪循環に悪循環を重ね、気づけば全国出場もベンチスタートが常になっていた。

 

まあこれくらいよくある話といえばよくある話なのだろうが、中3の夏以来、それこそ最近まで何かにつけてこのことがフラッシュバックするくらい自分にとっての後悔とコンプレックスになっている。高校に入った時も、結局びびってサッカー部ではなく軽音同好会など生ぬるいにも程がある環境を選んでしまったおかげで、一生拭えない黒歴史になった。生ぬるい中でぬくぬく育ってきてしまったことに対する後悔と怒りだけがあるので、今も自戒に自戒を重ねるような生き方をしてしまっている。

 

 

 

ピンポンの話がいつの間にか反省文になってしまった。

とにかく、作品中のペコでもスマイルでもなければ、チャイナやドラゴン、アクマにすらなりきれなかった自分にとって、自分を重ねることすらおこがましい程に彼らが輝いて見える。(自分ごときが感情移入するなとは思っているが)登場人物一人一人に共感することもあれば同情することもあり、すごく切ない。

見る前に抱いていた、コンプレックスや卑屈な感情も全部掬い上げて昇華させてくれる程全ての面で完成度がレベチの作品だから、ほんまにみんな見てくれ〜〜〜〜〜〜〜〜と思う。

 

 

実写映画の方も良かった。

これもまたI.W.G.Pを観て以来、窪塚洋介が好きになったのだが、窪塚洋介のペコ役が面白いくらいベストマッチしていた。

あとは何より、劇中で使用されていたスーパーカーの曲との相性があまりにも良かった。

 

 

 

 

 

「一番好きなバンドは?」と質問されたら、多分「スーパーカー」と答える。

他にも沢山好きなバンド、長く・多く聞いてきたバンドは山ほどあるが、一番ビビビッとくるのは間違いなくスーパーカーな気がする。

中高時代から何かとスーパーカーというバンドの存在程度は知っていたが、まともに曲を聞いたのは高校の後半から大学にかけてくらいだった。

初めは、シューゲイザーバンドとして数曲好きなものがあるというくらいだったのが、気付いたらズブズブにハマっていた。

なんと言えばわからないが、スーパーカーはどれもとても懐かしいというかノスタルジックというか、「なんか昔から聞いてたよな」みたいな感傷を与えてくる。 キッズステーションのCMでやってた、虹色のめっちゃでかいハケとか何十色もあるクレヨンとか、階段からビョンビョン落として遊ぶ虹色のバネのおもちゃとかなんかそういう系の、昔めっちゃ憧れてたものに抱いてた当時の感情がブワアっと蘇ってくる感じがする。これは懐かしさの比喩とかじゃなくて、結構まじでスーパーカーきいてたらこういう存在していたかどうかもあんま覚えてない、懐かしい景色が見える感覚になる。

 

 

ここからはきしょい個人的なドラム論 何目線やねんという指摘は承知

理由はよくわからんが、ドラム叩く時もスーパーカーの曲が一番気持ちいい。そら好きなバンドやねんから楽しいやろ、っていうのはそりゃそうやねんけど、好きとかを置いても一番没入できる感じがある。

 

ドラムをやる上での個人的なこだわりというかポリシーというかこうしたいなっていうイメージとして、コピーする曲から個人的に受けた初期衝動!みたいなのを噛み砕いてプレーに反映したい!と思っている。

言語化が難しいけど、めっちゃイキった言い回しをすると「ドラムをコピーするというよりも、一鑑賞者として曲を聴いて、その時に感じたイメージを元に再解釈して、自分ならどんなドラムを叩くか」という理想を漠然と抱いている。

やから一概に好きな曲やかっこいいと思う曲がそのまま演奏の楽しさとか気持ちよさに比例するかというとそんなことはなく、「曲としてめっちゃ好きやし、気持ちも乗って演奏もバッチバチになる曲」「聴いててかっこいいし好きやけど、それだけで演奏するには別にええかなみたいな曲」「あんま曲の良さはわからんけど、プレーしてて(テクニック的に)色々あって演奏する分にはそれなりに楽しい曲」「その他」みたいな感じで別れてる。

で、無論最高のエクスタシーを感じるのは最初のやつやねんけど、こん時はまじで自分でドラム叩いてて泣きそうになるくらい良い。

まあそんな気持ちの入り方の一つ二つで演奏を使い分けれるテクニックはないから、側からみたらただただマックスフルパワーでドラム叩いてるだけになってまうんやけど、個人的にはこれでも色々感じながら演奏しているつもり。

やから、カラオケの「音程合ってて点数が高いのと、歌が上手いのは別だ!」論じゃないけど、人の演奏とかプロのライブ見てても、「こいつらまじかっけえ!やばすぎる!アツすぎこうなりたい!!」と思う時もあれば、「上手いけどこんなんじゃ何も感じん!しょっぱい演奏してんちゃうぞダサいんじゃコラ!!」と思う時もある。その人とかバンド自体の好き嫌いの如何を問わず。

 

ほんで、これを踏まえてスーパーカーの曲はまじで演奏しててぶちキマる。

なんかスーパーカーの曲を演奏するときは、「足もつれそうになりながら突っ張って突っ張って走ってたら、気づいたら地面なくなって飛んでた!」みたいなことを感じている。ほんまに何言うてんねんって感じやけど。

ただ、よくスーパーカーの曲が「浮遊感」みたいな感じで言われているので、あながち大きくそれてもないのではないかと思っている。

曲によっても当然違うけど、なんかこんな感覚を軸に、スーパーカーの曲は聴く時も演奏する時も情景のイメージがズズズっと滲んで現れてくる感じがしてたまらん。

 

音楽の理論的なこととかコードすらも何もわからないので、何がそんなに自分の琴線に触れるどころか思い切り弾きまくってるのかはよくわからん。ただ、一ド素人の考察としては、絶妙な余白が曲のイメージを増幅させているのではないかと!考えている

楽器の入り方、歌い方、歌詞、それぞれにある言葉足らずな部分がちょうど良すぎる気がしている。

 

そう考えると、ピンポンはじめ松本大洋の作品も、余白が多いところが好きなのかもしれない。

アクマの「少し泣く」は多分四文字の日本語の中で一番かっこいい。間違いなく。

 

 

 

作品についてペラペラ薄く語る素人を弾圧する部隊の隊長なので、これ以上のうっすい言及はしない。

なんせ、この世で嫌いな人種の一位が「M−1の漫才中に喋る人間」二位が「M−1の漫才後に講評する人間」(M−1に限らないが)なほど「素人は黙っとれ!!!!」論者なので。

 

 

 

話が縦横無尽に逸れたが、ピンポンとスーパーカー、あまりにも良い。人生の殿堂入り。