ずっと前から、移動時間や寝れない時に読み進めていた増子央人のブログが、ようやく2022年まできた。
少し記憶を遡れば、その時期自分が何をしていたか思い出せるくらいの頃になって、当たり前やけど「あ、なんか増子も同じ時代に生きてるんや」て実感してきた。
多分今の自分と同い年くらいの時期から始まる彼のブログを追い始めた頃には、「ここから先、どんどん生活も変わって行ってバイトも辞めて、どんな目覚ましい変化や成長が見られるんだろう」と期待していたが、案外時間が経っても、立つステージや対バン相手が着実に大きくなっていっても、増子の言ってることや生活に大きな変化はなくて、多分俺がAgeを知って「なんやこのバンド、カッコ良すぎるやろ!そら売れるで!」と興奮しているくらいの時期になっても普通にバイトを続けている様子だった。やっぱバンドとかって大変なんやなあ、俺にとってはスーパースターやのになあ、と勝手にキツめのファンみたいなことを考えながら、彼の人生と伴走している。
増子もこの媒体でブログを書いている(というか俺がパクって)が、何かとこのブログは使いづらくて、読むためにはリンクから飛ばなあかんし、読者側も登録せな読めへんし、割と手間がかかる。
多分もっといい方法はあるんやろけど、読む時はいつも前回読んだ最後の記事のリンクをメモ用のLINEグループに貼っておいて、次読む時はまたそこから開いて次の日付、次の日付、、、と追っていっている。なんか昔のRPGのデータ保存みたいで楽しい、知らんけど。
あと、案外自分の記事も読んでくれてる人がいてびっくりしている。そこそこちゃんと書いたなみたいなやつはインスタにあげているが、まさかそんな読んでくれる人がいるとは思わなかったので、結構驚いた。バイト先、サークルの先輩後輩、中高時代のやつなどに見られて大分照れ臭いが褒めてもらえるのは単純に嬉しい。人づてに感想を聞くのが一番嬉しい、直接だとかなり恥ずかしいので。
ここ数日でサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んだ。あとサリンジャーの生涯を追った映画もみた。
1週間ほど前、ピンポンの熱が冷めやらぬ中、ピンポンに関する色々な記事を読んでいると、サリンジャーの作品から台詞を引用しているものがあった。それが結構印象的で、こんな文章書く人なんやーと思ったところから、サリンジャーについて色々調べた。
『ライ麦畑でつかまえて』について何も知らなかったので、元々なんか麦わら帽子被った女の子が金色の畑でニコニコしてる画しか想像していなかったが、少し調べるとどうやら全然想像しているのと違う内容らしかった。
サリンジャー自身も、「逆張りマン」みたいな書かれ方をしていたので、読んでみるか〜〜〜となった。
本を買ってから、原作のタイトルが The catcher in the rye であることを知った。直訳すると「ライ麦畑のつかまえ役」なので、「つかまえて」の訳は如何に。。。と思った。あとは村上春樹が翻訳した版もあり、そちらは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』とカタカナ表記のタイトルが付けられているとのことだった。
本の内容は、主人公の少年(ホールデン・コールフィールド)が高校を退学になってフラフラしながら、出会う人間や出来事にキレ散らかす話をひたすらに聞かされるというものであった。
ただ、これがめちゃくちゃ良かった。
作品についての解説や感想を言うのはやはり野暮野暮野暮!て感じなのであんまり言いたくはないんやけど、めっちゃ好きやった。
と同時に、この作品の真意を理解して読むことの難しさも感じた。
超安易に図式化すると、少年の心を持ち続けているホールデンvs汚れた大人(社会や学校)のやり取りで、少年は出くわす事象に悉く「インチキ」と言って中指を立てるものの彼自身も不安定な故に逃避行をする、的な感じ。
まあ言ってしまえばよくある厨二病を拗らせた思春期の子供が、社会や大人に反発して、あいつらは悪者だ!的な感じで自分のことを特別だと思っているように見える。
こんな経験は誰しも少なからずしてきたものだからこそ、若者の読者にとっては「共感できる」「代弁者だ!」と自分に重ねて褒め称えて、大人にとっては「こんな若い頃もあったな」という感傷か、「世間を知らないから自己中心的な主人公が腹立たしい!終始気分が悪く共感も一切できない!」というひんしゅくを買うものになっているんだろうな、と思う。てかまあ実際に読後いろんなサイトや記事においては、せいぜいこんなもんだった。
けど、どちらの読者、感想も普通に浅はかできしぇ〜〜〜!!黙っとけ!!!と思った。
ホールデンほど純粋で繊細で皮肉と捻くれの効いた人間味をもつ人間なら、この本を読んで「同じこと考えてた!代弁者だ!」という安直な思いにはなり得んだろうし、だからこそ作品の一登場人物として収まるのでなく、作品と現実の読者の間にも皮肉な関係を結ぶ構図になっていて、ホールデンがそこまでリアルなキャラになっていることがすごい。ホールデンに共感していると思ってる読者自身が作品内では「インチキ」側に配置されるようになっているようで面白〜〜となった。
かく言う自分自身も、客観的に見ているようで全然真意は汲み取れていないのだろうし、結局他の感想をもつ読者を点対称の位置から指差しているだけで、作者から見た絶対値は変わらんのやと思うと悲しい。
パラドックス問題のようでわけわからんが、この本を真に正確に解釈することはできんだろうなと個人的には思った。これは映画でサリンジャー自身の生涯について知ると、よりそう思うようになった。そもそも解釈しようとする(解釈できると思う)こと自体自意識過剰!土足で踏み込んでくるんじゃない!というのは自分自身も人間関係において常々感じている。し、この作品はそれくらい人間らしさが浮き出ていて、それこそがこの本の魅力なんやろうと思う。とにかく、内容についてごちゃごちゃ言うよりも作品自体に篭ってるパワーを受け取りなさい!と感じる本だった。
というかやっぱり、ここまで書いておいて作品の良さとか感想をいちいち言葉に起こすのは気持ち悪いと思った。ホリエモンが「野菜は美味しいから食べるんだろうが!!!お前らがいちいちごちゃごちゃ言ってくんじゃねえよ!!!」とブチギレてる時と同じ気持ち。
自分自身と作品を重ねるという野暮なことをあえてするとすれば、
物語の後半、「全部に逆張りたいだけちゃうんジブン」みたいな刺さりすぎる指摘をされた主人公が、「広いライ麦畑で遊ぶ子供達がいて、その中で崖から落ちてしまいそうな子を見つけては、そういう子供が崖から落ちないようにすんでのところで捕まえる大人としての『ライ麦畑のつかまえ役』になりたい」という趣旨(そのまま引用するのはちょっとキショいので、大体の感じ)のことを言う。
これがタイトルにもなっているのだが、この表現、、天才か、、?となると同時に、「あ、自分が学校教員になりたいと思ったのはこういうことなんかもしれん」と感じた。
よりにもよって作品のタイトルにもなり、至る所で引用される箇所であり、そして軽薄な読者が最も共感した気になる段落でこんなことを感じてしまっているので、自分も一凡人としてせいぜい頑張ろうと思った。
あと、やっぱり『ライ麦畑でつかまえて』という誤訳は、作品を読んだらこの上ない妙訳に思えるようになった。
ぜひ、おすすめ。