2024,4,1 フリーターになってしまいました

4月です。

2001年生まれの人の多くがまさに今入社式を迎える中、東京の赤坂、オールスター大感謝祭でワイナイナが芸能人をごぼう抜きするくらいの所にあるマクドナルドでこれを書いています。

 

先日大学を卒業し、本日年度が切り替わると同時にここにフリーターが誕生した。

まさか自分がそんなことになるとは一年前の自分は思いもしていなかったが、普通にヌルッと無職になった。

色々理由はある(後述)が、その理由の一つに関連してこのブログを書いている。これを読んでくれる人がいたらその人に対する弁明と、自分でも自分の状況を忘れてしまいそうになるので、省みるためにとりあえずこうなった経緯を整理してみる。

 

ここからは特に大切ではない部分

遡り出すとキリがないが、中学時代からなんとなく建築士を志していた僕は高校最初のテストで圧倒的クラス最下位を獲得してほぼ初対面の数学の先生、あと化学の先生にブチギレられて建築士を断念した。

逃げで文系に走ると同時に、なんか自分は将来学校の先生になるのだという、夢というよりは決定事項に近いよくわからない感覚に駆られるようになり、そのまま学校教員を志して大学に入学した。

ただ大学に入ってしまうと、煩悩と変なプライドにまみれて「良い会社に入れんじゃね?」と思い出すようになり教員もやめてなんとなくで企業へと進路変更。ただそもそも「良い会社」の定義が自分の中ではっきりしていなかったり、ボランティア活動やサークル、塾講師のアルバイトを優先して行き当たりばったりな生活をしていたので、就活も齧っては反芻してペッペと吐き出す牛さんになっていた。

牛歩牛歩でもなんとか無事就職できそうだというところまで行った頃、教育実習で3週間中学校に行ったところ、なんだかんだあって(後述するかも)「いや、やっぱり先生になろう」と再度心変わり。行き当たりばったりで無計画な割にサクサク進めてしまうよくない部分があるので、その時点で就活やーめた!となった。

でも当然教員採用試験の勉強を一切していないどころか、普通に試験の出願期間を過ぎていたので宙ぶらりんになってしまった。

とは言え、実は採用試験を受験していなくても講師としての採用枠はあるので別にストレートで卒業→講師として働く、ということは可能。講師採用であったところで試験合格を経ての教員との大差はない(多分)ので割とよくあるルートだと思う。そもそも採用試験はそんなに簡単なものでもないし。 そのことを知っていたので、教採未受験で宙ぶらりんになるという選択ができた。

 

ただ結果として、現に今僕は東京で彼女の家にここ1週間ほど寄生して(流石に明日滋賀に帰るけど)彼女がめちゃでかビルで入社式をしている最中、めちゃでかマクドナルドでキーボードをぽちぽちする無職になってしまっている。

 

どっちかと言うとここからが大切な部分

講師としてこの4月から教壇に立つかどうか、と考えた際、「いや、無理やろ」という判断になった。

と言うのは、特段勉強ができるわけでも、スポーツなどに学生時代思い切り打ち込んだわけでもなく、実際にビジネスなどを通じて社会を知ったりした経験もない人間が、このまま数ヶ月で授業が問題なく行える程度まで社会科の勉強をしたところで、誰がそんな大人を指導者にしたいねんと客観的に思った。

教育とそれを取り巻く現状や課題を知らない人たち(とは限らないけど)が教員批判としてよく言う「ガッコウの先生はシャカイを知らないだろ!」といった声を聞くたびに、どの口が言うてんねんという感と同時に「まあそれは割とまじでそう」と頷いてしまう部分がある。

僕は弱い人間なので、学生時代の活動や学びの中でいわゆる「学校」の外としての「社会」に多少なりとも触れ、貴重な経験をしていたとしても、このままいきなり学校に教員として放り込まれたら完全に巻かれてしまうだろうということは容易に想像がつく。

 

書き忘れていたが前提として、自分が現状の学校や教育のありかたを肯定しているかと言えば決してそんなことはなく、むしろ否定的ではある。「教育を変えてやる!」「子どもの未来を豊かに!」など仰々しいものではなく、プラス・マイナスの如何を問わず自分の関心と多少の知見の範囲で自分自身の意思が宿る場所があるなら、そこに入り込むべきだろうという考えの上で、学校教員を再度志すようになった。今思えば就活中もなんだかんだ常に教員としての像があったため教師という目標は根底では貫徹しているようにも感じていたが、こう考えるとそのモチベーションのベクトルは全く逆になっている感じがする。

 

とにかく、簡潔にまとめると、

「学校教員にはなりたいけど今の学校が正しいとは思わない!けど無力でプー太郎の自分はその今の学校の標準レベルにすら到底及ばないから、せめてこの一年間は今一度学び直しをして初期装備と多少の飛び道具くらい身につけてからじゃないと教壇に立つ資格はないよね」という流れでややこしいフリーターが出来上がりました。

思いつきでペラペラ軽口叩いてるせいで、休学・留年・今年から教員として働くなど様々な説が出回っていますが、卒業はしたものの働きはしない ということです(教員だからこそできることでもあるので、企業に就職する人は新卒枠をわざわざ手放すようなことはしない方がいいと思う)。

 

あと忘れてはいけないこととして、こんなフワフワした選択ができたのは、これらのワガママを許容してくれる周囲の人や環境あってのことなので、本当に心の底から感謝しています。自分の近くの人やこの過程で相談した人達が冷笑したり、揶揄するような人間でなくて本当に恵まれていたということは常に自覚しておこうと思う。

 

長くなってしまったが、ここまでが昨年度の経緯とその背景。

 

 

ここからが今年度のこと。

4月からどうするの?と問われると、まだぼんやりし過ぎていて「遊ぶ!フラフラする!テヘヘ、、、!」と誤魔化してきたが、いい加減ちゃんと考えて進めなければいけない。テヘテヘし過ぎて卒論やら大学のテストやらに追われに追われていたので考える余裕がなかったが、学生生活におけるあらゆることに一旦区切りがついたので、いよいよ大海に放り出される時期になってしまった。

 

まず、当然だが科目や教職関係の勉強はする。例によってこれまで微塵も採用試験に向けての勉強をしていないので、流石にいい加減社会科と教職関連のあれこれについて必死こいて勉強しなければいけない。まだ私立なのか公立なのか、都道府県はどこにするのかなど何も決まってないのでそこからですけどね!! 

まあこれらの勉強はどっちかというと「やらなければいけないこと」なので正直あんま乗り気ではない。この辺に関しては教科書内容そのものの理解度よりも伝え方がモノを言うし、それって現場経験に裏打ちされていくものやし。そもそも自分程度が教科書頑張って覚えても僕より頭いい人なんて山ほどいるんだもん!という悲しさもある。でも担当科目の内容を理解していないおじさんが教壇に立つことは当然ヤバすぎるので、ヒーヒー言いながら勉強に励もうと思っている。

 

あとは、教科書には関係ない勉強もする。これは「やりたいこと」

馬鹿者なので比較的イージーな学部・学科でフラフラしていたが、卒論を機に社会学についてあれやこれやと調べたりすると存外面白いもので、4回生の12月にして学習意欲モリモリになってしまった。教育や社会科と社会(学)は近い関係にあるので、教職関連の勉強や社会科の授業を想定した際に授業の一助になるだろうという打算も一部あるが、基本的には単に自分が勉強して面白い・もっと知りたいと感じる純粋な好奇心によるものが大きい。在学中キリスト教に触れる機会が随所であり、宗教になんとなく関心を抱いていたことに加え、やっぱり「社会」を知る上で大前提となる宗教の重要性を感じたので、今は宗教についてやんわり勉強をしている。こんな感じで関心ごとを枝葉のように伸ばしていけたらという感じ。

 

また、やはり頭でっかちなお勉強だけでなく、自分自身の体験の幅は広げていきたい。

在学中から所属する団体での活動は、OBという扱いにはなるが参加していくつもりだ。心身ともにかなりのストレスがかかり、かなりのエネルギーを要するが逃げずに向き合っていきたい。今年に入ってから、キャンプ活動だけでなく能登半島の支援も行っている(しっかりとした手続きは踏んだ上で)ので、そちらも自分の身を使って誰かの役に立てればと思う。5日の夜から能登に向かうので、そこで見たこともここで記せたらと思う。

 

あとは新たな活動として、在学中お世話になった先生の手伝いを始めた。

ありがたいことに学科にはユニークな先生と授業があり、3回生の時にはその先生の授業の一環として24時間ぶっ通しで自転車を漕いだり自転車で京都から敦賀まで行ったりと、インパクトのある体験を通じての学びがあった。

最終課題が未提出であるという不義理を働いておきながら卒業後の面倒見てくださいという要旨のがめつすぎるLINEを2月に送ったところ、わざわざ1対1で会って相談させてもらう機会を設けて頂き、色んなアドバイスと共に是非僕の活動に遊びにおいでよというお誘いもいただけたので、そちらにも参加する。この前はクリスチャンであるその先生の紹介で教会の礼拝とその後のボランティア活動を見学・参加させて頂いた。先生は体験(遊び)を通じた人間形成を専門としており、フィールドとしてゼミ生を中心に農園も経営しているので、今年はそちらにも入らせてもらう。今年からは養蜂や藍染も行うようなので、めちゃくちゃ面白そう。5日の午前中に分蜂作業の手伝いに行ってくる。

 

さらにやりたいこととして、全く知らない環境に飛び込んで何かしらしたいなと考えている。漠然とし過ぎてるけど。

上に挙げたボランティアは全部程度の差こそあれ自分の知っている人や環境の範囲内に甘んじているため、そこから一歩抜け出す必要は感じている。

基本的に自分はかなり小心者でプライド高めだという自覚があるが、その割にポンコツ君であることも同時に自覚している(させられている)ので、一旦まじでノーガードでボコボコにされておかないといけないなと思っている。全く知らない土地で自分の非力さを身をもって知ろうということ。ほんまに俺みたいな人間は海外で出し抜かれたりハプニングに直面して痛い目見てしまえばええねんと我ながら感じることが節々にあるので。

これは自分を不安定な状態にすること前提になっているので、やりたいのかどうかと考えると悩ましいが、必要だなと思っている。

 

 

 

大別するとこんな感じ。具体的な計画は特に決まっていない。

ほんで全部をひっくるめて、最後にこのブログを書くことも「やりたいこと」であり「やらなければいけないこと」の位置付けにある。

 

これを始めた理由は色々あるけど

1つは、自戒のため。自分の行動次第で良くも悪くも大きく振れる一年だからこそ、こんなもん始めたからには実の詰まったものにせえよという脅しです。弱い人間なので単なる内発的モチベだけだと堕落しかねない、なら「テイ」であったとしても、公開形式の日記にすることで外発的なモチベで有言実行を強制させてしまえということ。尻を叩き続けるための役割。(実は数ヶ月前からnoteを始めはしたが、なんか方向性おかしくなっちゃったので心機一転ということもある) これは今の自分に対しての戒めでもあり、将来的にしょうもない大人になってしまった自分が何かのきっかけで見返した時に律してもらえるかなという期待もある。

 

2つ目は、将来的にもしそれなりに上手くいった時に自分と関わった子どもにとってこういうのあればおもろいかなという期待。大人目線のあーだこーだの思い出話よりも、まだギリギリ青い今のことを今の言葉で記録しておいた方が説得力ある気がする。

まあでも今後どうなるか分からないしこれは希望的観測なので、そうなったらおもろいな〜〜くらい。まあこれも前note始める時に同じこと書いたんやけど、普通にこんなん見せたらあかんやろて感じになったからどうなるかはわかりません。

 

あとは、普通になんか楽しそうやから。

音楽であれ絵とかであれ、なんかを作ったり表現することができるようなスキルがあればいいんやけど僕にはそれがないので、しかもコミュニケーションも苦手で言葉ですら上手く伝えることができないので、せめて文章で形を残すということをしてみたいな〜という考え。あとは敬愛するAge Factoryの増子央人とLOSTAGEの五味岳久がこの媒体でブログを書いていて、影響されやすい僕はそれに乗っかっちゃえという感じで安易に始めた。

外向きと内向きが入り交じって変な文体になってるけど、それはそれでという感じ。

 

色々他にもあるけど、全部ここ1、2日で思い立ったものなのであんまり意味はないと思います。

 

そんなこんなで時間があるからこんなことしてみようと思い立ち、威勢よく今朝東京の通勤電車に乗ったところ、スーツ姿のおじさんたちに満員電車でボコボコにされた。みんなスーツの中モジャモジャのパーマで"IKAKU"の文字とレッサーパンダがプリントされた気楽な格好をしているのは自分くらいでなんか恥ずかしくなった。

 

斜に構えて冷笑するタイプだった中高時代から、大学を経てレッサーパンダのIKAKUくらいのファイティングポーズは取れるようになったので、この一年でヘビー級の熊になれるように頑張ります。

 

同期の皆さん、社会人頑張ってください。

ほんで多分これを最後まで読んでくれるような親密さと時間のある人は大学居残り組の皆さんだと思うので、僕と一緒に一年間頑張りましょう。