2024,5,16 島とキャンプと自分について(前)

はじめに

なんか長くなったし捻れてきたので前後半に分けることにした。途中からはただの説明になってるけど、後半で書こうと思った内容の前段階として大切なので、読んで損はないと思います。というかこれ読んで損も得もないか

 

「最近何してるん?」と、色んな人に聞かれる。

まあそらこの春から晴れてフリーターになった人間が普段何をしてるのかは気になって当然やと思う。そこには単なる世間話のフックとしての意味や、純粋な好奇心、時には普通に無職である自分に対する嘲りのニュアンスも含まれることもある。

 

じゃあ最近何してるねんと言えば、時々ボランティア活動や今後の計画(現時点では、5月末から1週間新潟に行って農家の方の手伝いをしてくる)についてあれこれ進めて、残りの時間は塾でのアルバイトか教員になるための勉強(主に世界史)か、捻くれに捻くれたブログを書いている。このブログを読んだ人からも、ありがたいことに面白い!とか文章好き!などの好意的な感想をいただくこともあれば、捻くれてることへの嫌悪感やこんな生活をしてフラフラしている自分への嘲りを含んだ言葉をいただくこともある。

 

とにかく今は今後しようと考えていることの為にもお金を貯めること、そして着実に近づいてくる試験や来年度教壇に立つに足るための科目の勉強をすることが大切なので、それなりに毎日勉強とバイト、隙間時間での読書や映画鑑賞といった生活のリズムはできてきた。

が、ほんまにこれでいいの?という不安は常にある。というか、これは漠然とした不安というよりも明確な問題意識である。

 

勉強は正直、かなり没頭できる。けど、これは裏を返せば単なる逃避であって、他のことを考えないで済むから意識的に没頭しようと努力している、とも取れるし、実際多分そう。

当然今やっていることにもそれとしての意味はあるが、「じゃあ元々やろうとしていたことってなんなん?」「芯としてブレてないか?」と考えたら、ふっと気を抜いた時にすこ〜しずつ元の位置からずれていっているよなぁ、、と思う。

これは自覚しているし、危機感を抱く一方で「まあこれもそのまま自分の記録として残しておくか」という気持ちで特に意味のない、洒落だけの文章をブログとしてあげることもしている。ので、これを読んでくれている人の中には「趣旨変わってない?」「良くないスパイラルに片足突っ込んでるやん」と感じている人もいる、かもしれない。情けないところまで見てやってください。

 

 

 

ほんで、先ほどまで、初めて実際に学校へ提出するESにおける志望動機を書く段階で頭を抱えていた。

志望動機を書くために、今一度思考を整理しようと思って「教員として何がしたいの?」「そもそも何で教員になろうと思ったの?」といったことを真白の紙に書き出すことにした。

そして、やはり第一に辿り着くのが、大学時代に所属していたボランティア団体での活動経験が教員を志す上での原体験になっているということである。じゃあこの活動で何を感じた?どんなきっかけで、どんなことを目指しているの?という点にさらに立ち返るために、ディレクター(団体の職員で、超簡単に言うと監督的な位置付けにいた方)の話や彼が夏の間中記したブログなどを読み返した。

そして、原点に立ち返るにつれて沸々と、グググっと湧き立ってくる感覚があった。これや、この感覚や、という熱をみすみす逃してはいけない、というふうに思ったため、駆られるように今これを書いている。ESは明日締め切りで間に合うのかもわからないが、そんなことよりもこの感覚を確実に残しておこうと思った。

 

我々の活動は、主に団体の借地である瀬戸内海の無人島において、子どもたちとキャンプをするというものである。

どんな島で、どんな生活をして、という詳細は省く。この活動で特徴的なのが、「遊びではない、営みをする」ということである。一般的な言い方をするとすれば、「組織キャンプ」という種類になる。普通「キャンプ」といって想像するのが、「レクリエーションキャンプ」と呼ばれるものであり、これは普通に楽しいやつ。簡単に説明すると、「組織キャンプ」と言うのは、「ある目的や理念を持って、トレーニングされた指導者のもとで行われる教育的な役割を持つキャンプ」であると言う感じ。

当然子供たちにとっては基本的に楽しい体験、レクリエーションキャンプの要素も十分に持った体験ではある。子どもも親も「学ぼう!」という心もちでくるものではない。だが、単純に言えば運営者である我々は、「楽しい」よりも「成長」が優先すべきものであり、「無人島でのキャンプそのものを楽しむ」よりも「成長のために『キャンプ』というプログラムが最適であり、その効果を最大化するために『無人島』と言うフィールドがある」というスタンスでいる、という感じ。少なくとも個人の理解としてはそうであった。

だから、「無人島で子どもとキャンプするボランティアしてます」と言うと、「楽しそう!自分もやってみたい!」という反応が基本的に返ってくるのだが、その度に「いやお前ほんま、、、ほなやってみろや、、、」と言いたくなるくらい、我々の活動はキツかった。極端な例を出せば(不適切かもしれないが)最も長い11泊の男だけのキャンプでは、終盤大学生リーダー(ボランティアスタッフのことをリーダーと呼ぶ)が小学生の胸ぐらを掴んでブチギレている光景が見られるくらい、シビアな雰囲気になる。あくまでこれはキャンプであり、我々の活動と趣旨を十分に理解した運営者と参加者によるものであるという前提なので、こういう事も理解の上で成り立っている。だから引かないでほしい。

 

 

当然、「目的や理念」「教育的な役割」「成長」などと言うからには、その指導者である我々自身がそれだけの責任と目的意識を持って運営を行わなければならないし、それに足る真剣さが求められる。だから、定期的に学生だけでのトレーニングキャンプやキャンプ前後のミーティング、その他様々な活動、、、で予定はパンパンになる。耐えられない者はどんどん辞めていき、各回生卒業時に残る人数は最大時の3割ほど、実際に精力的に参加するのは2割ほどとなる。

 

こういうことを言うと、「団体の性質がおかしいから辞める人が続出するのだ」とか、「なんで金ももらえへんのにそんなしんどい思いして活動続けてんの」とか「宗教やん」とか言われる。まあそれも当然だろうと思う。客観的にみたら、非合理的で思想の強い団体・活動であることは各人が重々承知している。

それでもここまでなんだかんだ続けているのは、実際に島に行ってキャンプをしたという経験とそこで感じたものが、何かしらの確信を持って「続けなければならない」という思いに駆り立てるからである。そして実際そのエネルギーは、戦後間も無い時期から始まり70年以上もの間、島やそこで活動してきた団体の先人たち、我々の世代に受け継がれてきたと言う歴史が確かなものとして示している。

そこに来た者しか分からない、だが間違いなく無くてはならない、という確信を皆が持っているからこそ、クッソしんどくても活動に賛同して参加し続けてきた人たちがいて74年目になる。そして今の世代で活動している我々も、周囲から揶揄されながらも、「しんどい、、、行きたくない、、、、」と言いながらも、誇りを持って奴隷のように働くことができている。

 

なんかこの時点で「え、スピリチュアル系?」とか「あーあー洗脳されてますわ」と感じる人もいるかもしれないので、文章構成を一旦無視して今の段階でもうちょっと身近な感覚で例える。

表現として適切なのか、また上の段落での話の例として適切なのか、というと微妙なところだが、個人的にはキャンプ体験とバンドは何か通ずるものを感じている。

バンドをしたり見たりしていて最も気持ちよくなる瞬間、ノリに乗っている時や息の合う面子で合わせた時や、最高のライブを見た時には、自分/他人の境界が曖昧になる感覚がある。よく言われる表現にしたらドラム、ベース、ギター、ボーカルがそれぞれ別の楽器として重なるのではなく、一個の楽器になる感じ? まためちゃくちゃ主観的な自分の中でもいつものイメージで言えば、ステージの真ん中に黒いモジャモジャした球体のバケモンがおって、そいつが常に暴れ回ってるのに呼応して楽器が鳴っている様子を俯瞰してる景色とか、真ん中でドデカい火が燃えたぎってて全員が絶妙なタイミングで薪をどんどん投げ入れて火をどんどん大きく、バチバチ燃え上がらせているような景色を見てるような感じ、、?そこでは自分とか他人の隔たりがなくて、俺もギター弾いてる!ベースも弾いてるし歌ってる!!みたいな感覚に入る。そんなでっか〜〜〜〜い一個のうねりになる感覚が完全に麻薬となって「バンドしたい!!」ってなる。この共鳴する感じは楽器が上手いとか仲が良いとかとはまた別で、どういうのによるものなのかは分からん。あと、ドラマーとして増子央人を崇拝しているのは、なんか増子のドラムがこのドデカい火を誰よりも苛烈に焚き上げているなあと思うから。

 

ほんで、キャンプでもこのうねりが生じる。

大学2回生の夏、男子だけの11泊のキャンプの後半からスタッフとして入った時の忘れられない景色がある。

その以前から「このキャンプは本当にいいキャンプだから来てみなさい」と言われていたが、その時は正直ビビって全日程での参加をするという決断ができず、なんだかんだでキャンプ後半に裏方スタッフとして入った。

例年台風到来のシーズンと重なるそのキャンプは、その時も豪雨だった。外に出て遊ぶのも危険なくらいの豪雨だから、中庭(拠点にはコンクリート打ちっぱなしの食堂があり、その周囲の開けたスペースを「中庭」と呼んでいた)で歌を歌おうということになった。キャンプでは、雰囲気を作ったりキャンプのリズムを生み出すためによく歌を歌う。当然子どもにとってはただの歌であり、「雰囲気が〜」とか考えているのはリーダーの立場でしかないのだが、キャンプの良し悪し(という言い方が適切かは分からないが)は面白いほどこの歌に現れる。キャンプとして一体感が生じてくれば、自然と歌もノってくるし、バラバラの時は歌もキャンプも決してうまくは行っていない。これは逆も然りで、歌によってキャンプの波を作ることもできれば、歌一つでキャンプが台無しになることもあるので、キャンプの進行役のリーダーが下手な選曲をすればディレクターにボッコボコに叱られる。僕はこの進行役のチーフになることが多かったため、四年間で散々説教されまくった。「お前のせいで、キャンプが台無しになってんねん」「歌の気持ち悪さはキャンプの気持ち悪さになって、小さい子はほんまに体調崩したりするから。頼むから余計なことしてくれるな」など、今でもトラウマになるような説教をされた記憶がある。

というのはどうでもよくて、歌を歌おうということになった。

その時の歌が、あまりにも衝撃的だった。子どもも大学生も、完全に別の世界に入り込んでいる。一人一人だけを見れば、歌うというよりほぼ怒鳴ってるのに、全体としてめちゃくちゃまとまっていて、みんな見たことないくらいめちゃくちゃ笑っている。外で歌ってんのに窓はビリビリ揺れて、雨の音も巻き込んで一つの巨大な生物、うねりになっていた。 60人ほどの人間の上に超巨大なモジャモジャがいて、そのモジャモジャしたやつが踊り狂っていた。スタッフとして島に来て間もない自分なんかが到底立ち入れる世界ではなく、絶句するしかなかった。あれは完全に畏れを抱いていた。気圧されるとかいう次元を通り越して本当に後退りする自分に対してもそのモジャモジャは腕を取って引き入れようとしてきていた。

こんな世界があるんかい!!!!なんじゃこれ!!!!!あの中にいる人らはどんな感覚なんや!!!!と憧れ、あの中の一員になりたい、と思った。

これは完全にハイになった部分を切り取ったものだが、この時感じた爆発的なエネルギーが、様々な形となって島やそこにきた人にあらゆる場で分け与えられているということを、3回生・4回生での活動を経て実感するようになった。

このことが、団体での活動の原動力となった。

 

他にこの活動をしてきた理由としては、そこにいる人たちが年齢や性別、役割問わず尊敬や憧れる人ばかりだったからということが大きい。

元々子ども時代にキャンパーとして島に来ていた経験から、今度は自分がリーダーとしてこども達を受け入れたいということでリーダーになる人、大学で初めて存在を知ってリーダーになる人、さまざまであるが、ここで精力的に活動する人たちはものすごく強い。ものすごく強くて、ものすごくまっすぐしている。今までどうやって生きてきたの?というくらい真っ直ぐしている。

自分の中のポリシーとして、一本軸を通して生きたいと思って生きてきた。自分の中で決めたことや自分の思う道理はブラさずに行きたいという、これはポリシーというか意地を持ってやってきた。で、そのためにはある程度捻くれないとやっていけない部分がある。それは自分の道理に合わないと思うものに対して斜に構えて受け流したり、ややこしい人間をスルーしたり時には軽蔑して距離を取ったり、どちらかといえば自分が軸に沿って生きる上での抵抗になるものをかわすようなスタンスであったと思う。銃弾が直進するためにジャイロ回転をかけるように、藤川球児の火の玉ストレートが2700回転かかるように、この捻くれと適当さが、軸を保つ上で必要不可欠であると思っていた。し、今もこのひれくれと適当がないと人間なんて生きてけないよ〜〜と思っている。最も、捻くれが過ぎて人に言わせればただの頑固な奴なだけなのだが。

そんなこんなでクルクル回転しながら自分のポリシーにだけは沿ってきたひ弱な銃弾が、島に来て空気抵抗も構わず無回転で真っ直ぐ飛ぶ未知のロケットに出会った。「え、今までやってきたことなんだったの、、、?」と思ってしまうくらい、純粋で無回転でかつ速く真っ直ぐ生きる人達ばかりで、衝撃を受けた。この真っすぐさは、自己啓発系や「意識高い系」の、無知や汚さが一周して辿り着いた類の真っすぐさとは違う。こういう勘違いした真っ直ぐさを掲げる奴は、銃弾で撃ち抜くにも値しない。グーパンチで頭かち割ったろけ!と思っている。それに対して、団体の人達が持つ真っ直ぐさは、無垢で真摯で、芯の通った真っすぐさである。

こんなに純粋に、何も顧みずに人のために動ける人間がいるのか、と日々思わされている。一ヶ月ほど前に記事にした、能登半島の災害ボランティアにしても、自分がうだうだ考えて思い悩んでいたことなどよそに、真っ先に体が動くような人たちが沢山いる。

そういう人達を心から尊敬するし、強く憧れるからこそ、少しでも近づけるように活動を続けてきたということは大きいと思う。

 

また、彼らは子どもとの接し方も非常に上手い。というか、「接し方」とか、ましてやそれに「うまい」も「ヘタ」もない。ただ一緒に生活している、という感覚でキャンプをしている。

かなり初めの方に、キャンプを「遊びではなく、営み」と表現した。これは、単純に言えば「キャンプを楽しむ子どもと、楽しませる大人」であってはならず、「共に生活を営む一員である」関係であれ、ということである。子ども達は決して安くない参加費を払ってキャンプにくるが、だからと言って「お客さん」ではなく、共同生活をする一員としての責任と義務を果たせよ、ということである。これも難しい話になるが、そもそも目的が「キャンプ」をすることではなく、あらゆる経験を通じての成長であり、その成長にとって最もダイナミックでインパクトが大きいフィールドが「自然」であり「島」である。そして、その「自然」を最も体験する手段が、「ただ、その中で生きる」ということであり、そのためにキャンプを行っている。という論理だからこそ、我々大人が保護者や先生のような立場から、子供たちを楽しませようとすることが、却って子ども達にとっての貴重な体験を奪い、目的を見失った行為である、という話である。

だから、もちろん大前提として大人である我々が子供のリスクコントロールや体験を促す働きかけはするものの、あくまでも同じ立場で、同じようにできることやできないことがあるグループの一員である、ということが求められる。

ただ、これはそんな簡単にできるものではない。危ない場面を見たら「危ない!」と止めそうになるし、子どもを傷つけてしまうと思うとつい優しく、特別扱いしてしまいそうになる。昨年のキャンプでは、他の無人島へトリップするために子どもたちが自分と同じくらいのサイズの鞄を必死に何往復もして運んでいる姿を見て、つい手助けをしてしまった。するとそれを見ていたディレクターに桟橋で声をかけられ、「なんで荷物持つねん。あいつらが生活するために必要なものを、自分たちで必死に持ってるんやろが。お前のそれは優しさではない、あいつらを信用してないから、お前が一見優しいと思われたいからやってるだけの無責任な行為や。お前はお前のやるべきことをちゃんとやれ。ほんで子どものことを信じて、歯を食いしばって待てや」と今までにないくらいの形相で怒鳴られた。

そういうこともあり、変に気を遣わずに、というか本当の意味で差別なくやろうと思うようになった。子ども相手でも「お前ほんましばくぞ」と思ったら「お前ほんましばくぞ」と言うし、「なんやそれ、しょーもな」と思ったら「なんやそれ、しょーもな」と言う。忘れ物した!とか失くし物した!とか、どうしたらいい?と言われても「いや知らんがな」と言う。(当然これはキャンプだからだが)そうしていると、グループのそれぞれの子どもとの関係も、グループ全体の関係も良くなるようになった。昨年の11泊の男だけのキャンプでは、中学生10人と同じグループで一緒に生活をし、みんな見違えるほど変わっていった。もっとこいつらと一緒にいたい、と初めてくらいで思った。

 

 

 

なんだかんだと書いてきたが、じゃあそもそもこの活動は、このキャンプは、子ども達や我々若者にどのような意味があり、どのような思いが込められているのか。個人的に最も印象的なのは、「ヘタレずに生きろよ」ということだと思う。

どういうことやねん、と思うだろう。

 

団体に入って、なんのために活動しているのか、という考え方がなんとなく掴めるようになったのは、2回生の2月だった。

それまでは、それこそ純粋に「子どもの成長のため」「場所や人が好きだから」という漠然としたもので、むしろ今の捉え方とは180°違っていたとも言えるかもしれない。

というのは、我々の活動と「ボランティア」、そして「社会」との関係性についての認識が、ガラッと変わった。

 

2回生の2月に、リーダーだけのトレーニングキャンプがあった。

そのキャンプは、それまでのようなアウトドアリビングスキルを身につけるものではなく、座学中心のものであった。その時は、毎日島の整備作業をしたりご飯を作ったりと生活をしながら、映画を観てディスカッションする時間が設けられた。

その時は、黒沢清のCUREという映画と、監督は知らないが 恋人たち という映画をみた。

CUREは、今でも面白い映画を聞かれたら真っ先に答えるくらい、面白い映画だった。ここでの「面白い」は、他と少しニュアンスが違うが。

ストーリーやシーンの描き方、演出なども当然すごいのだが、それ以上に鑑賞後の重さがものすごかった。

下腹部にずっしりとのしかかる重さと、喉のキンとするような痛みを覚えている。怒りが抑えきれなくて涙を堪える時や、強度の緊張感に晒された時などに、喉が内側からキンキンと痛む。 そのような痛みと息の詰まる感じを与えてくるような映画だった。

簡単なあらすじとしては、催眠による殺人教唆の疑いを持つ男を、刑事が追う中で、人間の深層心理に迫られる、という感じの話である。呪術廻戦で夏油傑が闇堕ちする話や、数年前に障害者施設で起きた大量殺人のニュースを見て、短絡的に命を奪う行為への憤りを感じると共に、彼らからの問いかけに対する歯切れの悪さや、なんとも言えない違和感がジットリとどこかにこびり付いてきた時のような感覚を得た。こんなにも映画から心を覗き込まれるようなストレスを感じたのは初めてであった。

恋人たちは、理不尽な日常をただ過ごす人達についての映画であった。ずっと同じ雰囲気、大きく変わることもない暮らしの中での退屈さや理不尽さ、そこから感じるやるせなさと、そうした日々の中で少しの希望を見出す姿がとても印象的だった。

これも、儚げで退廃的なのがチルくてエモい〜〜(笑)みたいなことでは無い。そういうのと混同してる人間も、人差し指と中指をへし折って二度とタバコ挟めんようにしてやるから両手差し出せ、と思っている。

面白い、面白くないという評価ではなく、印象的でいい映画だったのだと思う。

 

 

いずれにしても、鑑賞後に得た感覚は決してポジティブなものではなかった。どちらかというと社会や人間のグロテスクさ、やるせなさが不完全燃焼のまま腹に残り、重苦しいな、という印象であった。

そして、ディレクターが「我々は、こういう社会に生きています。だから、キャンプが必要なんだ」と言ったことが、当時の自分にとっては衝撃的であると同時に、「あ、そういうことなん」と驚くほどストンと腑に落ちる感覚があったのを覚えている。

 

それまでは、団体での活動が「ボランティア」の枠を出ていなかった。他の沢山あるボランティア活動と内容や深度は違えど、根本的な部分は一緒であると捉えていた。それは、簡単に言うと明るくてポジティブで、「社会のために!」みたいなイメージ。ベクトルでいくと、「夢は叶う!」とか「いじめはなくそう!」とか、いわゆる社会道徳に沿うもので、当然自分たちもそのような立場から、「社会」のためになる活動として、「社会」の役に立ち、活躍する子どもを育成するような活動をしているのかと思っていた。

だから、「社会なんてもともと理不尽です。大人は無責任に『夢は叶う』と言うし、自分たちもいじめまがいのことをしている癖に大人は『いじめをなくそう』と言っている。そして子ども達や若者はそれを押し付けられる。これほど理不尽で無責任なことはない」と淡々と、だが力強く、憤りを交えて断定したことが衝撃だった。

 

「だから、キャンプが必要なのだ。」

 

この論理を噛み砕くために、団体では「社会」と「世界」という言葉が使用されていた。人間が作ったものが「社会」で、その外側が「世界」である。人間が作った「社会」には満点の解答もルールも法も、幸せな生き方のモデルもある。が、所詮人の手によって作られたものだから、結局どこまで行ってもインチキで理不尽である。だが、「世界」にそもそも答えのあるものなど存在せず、ルールや法もない。災害も天気も、制御できない。究極に理不尽で、未規定な世界では人間の力など到底及ばない。

だから、キャンプという形で「世界」に触れ、体験することが子どもや若者にとって大切であるのだ。

 

これは、キャンプ活動や島が、「理不尽な社会から飛び出して、もっと自由な世界を知ろう!」というユートピアである。ということとは全く違う。

上に述べたような話を踏まえて、最終的には「そして、我々はそんな『社会』で現に生きていて、そんな『社会』の中でしか生きられない」という点に回帰する。

そして、「『社会』がそもそも理不尽であるということを認識して、同時に自分たちがその『社会』の一員である、という位置関係を理解して、じゃあどうするの?」という問いに対する一つの答えとして、「社会の理不尽さを知らず、ちゃんと道理に従って生きてきたはずの本来的に無垢な青少年が、ある日その理不尽さに触れた時に脆く折れてしまわないようにしよう。理不尽さが前提の世界で驚き戸惑い、道理なんてそもそもない環境において自ら葛藤して道理を作り上げていくという経験を通じて、理不尽な『社会』の中で意志を持って生きる強さを身につけられるように、キャンプという体験でアプローチしよう」ということである。

 

「社会」「世界」など大きい話でなかなかイメージができないかもしれないが、誰しもがこれに似た経験に見覚えがあるだろうと思う。

勉強できるのに全然仕事できひん奴、先生からの評価は高いけど友達おらん奴、想定外のこと起きたらテンパって何も対応できひんやつとか、一つのことで挫折したら完全に無気力になる奴とか。逆にこいつほんっまあっほやな〜〜て感じやのにめちゃくちゃ友達いるやつも、普段ヘラヘラしてるけど咄嗟の時に誰よりも動くやつも、金も単位もないけどビビるほど楽器上手かったり、終わりみたいな生活してるくせにいつも楽しそうなやつとか。細かく言えばまたこの中でも色々あるけど、雑に例を挙げたらこんなん。

塾のバイトしてても、こいつまじめちゃくちゃアホやけどなんだかんだ受かったり、上手いことこの先やってけるんやろなって子は大抵ほんまになんだかんだなんとかなってるし、逆にいやお前ここで勉強しててもこの先絶対どっかで壁ぶち当たるでって子もいる。まあ大抵そういう子は「良い学校行けばこの子にとって良い人生が送れる!」と思って本人の興味関心とか得意分野とズレた勉強を頑張らせようと勘違いした親に送り込まれてくるパターンやけど。とにかく下らない学歴コンプとか見栄で無計画に勉強を頑張る子を見て「いやいやいや、、、」と思っても、その穴に向かってぐいぐい背中を押さなければならないので塾講師はしんどい。基本的には楽しく、モチベーション高くやっているが、こういうことがたまにあるとなんともやるせない気持ちになる。

 

キャンプでは、それこそ長期のキャンプになってくると「社会」でぬくぬく育ってるやつの脆さがかなり露呈する。

キャンプに来る子どもは、大雑把に分けたら、ええ奴、ええ奴っぽいだけの奴、ネジ外れてる奴、カス みたいな感じである程度のタイプに分けられる。

あと前提として、なかなかの参加費がかかるこのキャンプに参加できている時点で、基本的にはみんな割と豊かな家庭で育っている。

「キャンプは4泊5日からだ。3泊までのキャンプは、逃げ切れてしまうから」と団体内でよく言われるが、これは本当にそうで、4泊5日以上島で共同生活していたら、それぞれの本性がかなり見えてくる。3泊までだと、「あいつは何やったんやろう、最後までよう分からんかった」て子も多数いるが、4泊以上になると、急に一人一人についてめちゃくちゃ語れるようになる。

まあその理由としては、4泊になるとトイレなどの生理現象を我慢し切るということはかなり難しいし、丸一日島で生活する日が2日以上になること、それに伴ってできるプログラムや体験の幅も広がるし、そうなれば何かしらのハプニングは必ずどこかで起きるからという感じ。

 

それで、キャンプをしていて面白いのが、日を追うごとに上に挙げたところの「カス」が次第に炙り出されてくる。

そういう子は、基本的に第一印象はかなり良い。ほんで、大体偏差値の高い学校に行っている。初めのうちは、大人のリーダーやディレクターにめちゃくちゃ従順で、グループ内でも間を取り持ってくれる良いやつのポジションにいる。我が強い子やエネルギーの発散場所がわからない子が次第に喧嘩やいじめのような事を始めても、その加害者にも被害者にもならない位置で、上手いことやる。大体初め〜中盤にかけては、そうして虎視眈々とやり過ごし、中盤に何かしら目立つ子が大きなトラブルを起こして村八分のような状態になったタイミングで、発言力の弱い子や大人しい子に対してマウンティングを取り始める。それも大人の目につかないところで。たまたま見つかって一旦注意されると「はい!すみません!」と目をうるうるさせて90°お辞儀をするくせに、勇気を出して注意した大人しい子には「は?黙れよww

w」という態度をとる。ただ、ここまでは学校でも見られる景色だと思うし、この時点で行ったところで、まだ逃げる余地がある。キャンプにおいては、いずれそいつが必ず起こす大きい事件を待つ。その事件が起きたタイミングで、これまでにその子が経験してきたことがないくらいの勢いで首根っこを捕まえ、チビらせる(本来はそこまで怒っていなくても、インパクトのある経験を与えるためにオーバーに振る舞う)。

 

なんか誤解を生みそうな話が続いたので断っておくが、「社会がクソだ!そこで何も考えずに生きている奴らはだめだ!」とか、「学校行ったらみんなロボットにみえた」とか「学校なんて行かんでええ!人生は冒険や!」とかそんなことは思っていないし、塾の例で言えば「学歴なんてどうでもいい!」とか「勉強だけできても意味がない!」ということでは決してない。ましてや、ほんまに子どもに対して「カス」やとか、チビるくらいびびらせたれとか本気で思っているわけではない。トラブルも問題のある子も基本的には全てディレクターや我々の想定の範囲内での出来事であるし、その上で「それでも、子どもにとって、よりリアルでインパクトの大きい体験ができるように」という思いで、限りなくその幅を広げてギリギリのラインでできるように普段のトレーニングがある。そんな極端で短絡的な話をしているわけではない。このバランス感=島で言うところの「社会の理不尽さを知った上で、社会に生きている」という自覚 を失えば、それこそただの机上の空論、ただのユートピアになってしまうし、ただの昭和の根性思想が詰まった軍隊になってしまう。

大切なことを書き忘れていたが、我々リーダーに求められる役目が、「社会」と「世界」を繋ぐ仲介者として、「社会」から「世界」の体験へ、そして「世界」の体験から「社会」に何かしらを持ち帰る という橋渡しをすることである。もう数歩行けばただの世捨て人や宗教になる絶壁の上に立ってバランスを取ろうとしている。

まあこれもめちゃくちゃ難しいし、そもそも我々が「世界」に近い境地に辿り着くこと自体超難しい。

特に自分なんかは、団体内で「社会」の代表的な人間であったし、上に挙げたところの「カス」がかつての自分自身であったように思う。団体に入って初めの方、ディレクターから特に厳しく接されている時期があった。当時は、「期待されてるからこそなんだろう」とか捉えていたが、今思えば全くそんなことはない。「カス」に対してそれなりの厳しさを持って正そうとしてくれていただけだった。

 

まあ本来はここまで書いてきたことの間にもっと細かくて複雑な話や理由・背景はあって、今の自分ですら完全に理解はしきれていない。基本的に団体内で使われていた言葉をそのまま引いてるだけで、自分の言葉で伝え切れるほど落とし込めてはいないし、その分説得力に欠ける部分もあると思う。

ただ、実際の活動や学びを通じて、少なからずそこに直接触れていた自分にとっては十分その考え方や活動の理念に賛同しうるものであった。

だから、自分の感覚としては「ボランティアをしている」という感覚から「自分も活動の理念や内容に共感・賛同する部分があったから、その一員として活動に参加している」という認識で活動していた。

だから、「ボランティアをしてます」と自分で言うことも違和感であるし、「そこまでしんどい思いしてて金もらえへんのやばいやろ、ようやるわ」とか、「ボランティアしてたら就活有利やん!」と周りの人から的外れなことを言われるたびに、少しずつ苛立ちが募る。

 

 

 

 

あまりにも説明的になってしまった。

団体やキャンプについての詳細を書きたかったわけではない。けど、自分で書き出していて再度咀嚼する機会になった。ついでにここまで読んでくれた人がいたら、僕がこれまでしてきた活動や今の考え方に至る背景を知ってもらえていたら嬉しい。今まで他の人に言ったとて伝わらんだろうと思っていたので適当に説明していたが、こんな感じでした。

ここまで読んで「宗教やん」と思ったら、それはもう多分ほんまにほぼ宗教です。

あえて宗教的な言い方をしたら、上で書いた2回の夏に感じた大きなうねりに代表されるような、キャンプ内での出来事が奇蹟体験であって、2月のキャンプでの合点が洗礼であったんやと思う。

 

 

あ、あと、こういう経験から、「社会」の捉え方について興味を持ったため、「社会活動経験が各人の『社会』観に与える影響」というテーマで卒業論文を書いた。

前までに書いた、「社会」「世界」を行き来して、その上での「社会」の中での活動を経て、各々が「社会」をどのように再解釈するようになったのか、ということについてインタビューして論文にまとめたが、これがめちゃくちゃ面白くなった。2週間に詰め込んでしまったせいでまだ全然やり残した感があるから、本来はもう一年位かけて色々したいなと思ってるんやけど、ぜひ読んでほしいと思う論文(というか論文の完成度は低いけどインタビューが面白かったから、それを読んでほしい)になった。

ここで聞いた色んな人の経験と感じ方、それを受けての生き方についての話が超面白かったから、そこが今年したいなと思うようになったことの動機にもなっている。

 

 

 

 

 

元々、今の自分の力の源泉を掘り返すために書き始めたのに、ただの島とキャンプの話でもう13000字使ってしまった。

またブレてるけど、これも大切な話でした。一旦長すぎるので前後編に分けます。前編終わり。

 

 

 

 

2024,5,10 23歳

23歳になった。

23歳になる瞬間は、京都駅の夜行バス乗り場で震えながら迎えた。5月とは言えまだ夜は寒い。というか多分京都が寒い。「京都は盆地やから夏は暑いし冬は寒いねん」てみんな言う度にほんまかいなって毎回思ってたけど、これも盆地のせいなんか。

 

夜行バスは足元のスペースと隣の乗客との闘いなので、気持ちキリッとした顔で乗り込んだ。

そしたら最初からリクライニング全倒ししてくれてるタイプのバスで、足元も逆に不安になるくらい広かったからもうほぼベッドやった。

あまりにも座り心地いい割に、映画でガスが噴出してくるシーンでしか聞いたことない「シュコーーー シュコーーー」という音が一定の間隔で鳴り続けてたから、「これ催眠ガス?目覚めたら孤島でバトルロワイヤルさせられんちゃうん」と不安になって寝れなかった。さすがにそれは嘘やけど。脳内に直接響いてくるタイプのシュコシュコ音はずっと鳴ってた。

隣の乗客も、大学生っぽい男の人でヘッドホンを首に掛けていたので若干ビビっていた(ヘッドホンを首にかける人は、基本こわいから)が、SAで席を立つ度に「すみません」「ありがとうございます」を言ってくれるタイプの人で、首かけヘッドホンへの偏見を改めようと思った。 降りる時にはシートを真っ直ぐに直してブランケットも畳んではった。高三の時、名簿順でギャルと隣の席になったのにペアワークのある英語の予習を忘れて「やばい、殺される、殺される」と思ってたらめっちゃ物腰柔らかくてノートも写させてくれて思わず惚れかけたことを思い出した。これもさすがに嘘やけど。実際は多分むしろ人当たり良すぎて逆により怖くなった気がする。

 

バスの車内では寝たり起きたりだったが、起きてる間は最近乗り換えたSpotifyポッドキャストを適当にきいていた。

はじめのうちは、なんかアナウンサーと東大卒芸人と哲学者が3人で色んな本について語るラジオをきいていたが、「『哲学者』て自称なんやねん、聞いたことないわ」と思いすぎてあんま内容入ってこんかった。ラジオでは『限りなく透明に近いブルー』について話していた。読んでみたくはなった。

途中で、「てかこれ本についての知識とか広げるために無理してきいてるんちゃう?ジブン」と我にかえって頭の良さそうなラジオをきくのはやめた。

andymoriの歌詞で、「感傷中毒の患者 禁断症状 映画館へ走る」という好きな一節がある。

本でも映画でもその他でも、コンテンツを摂取するに至る前後関係が逆転したら終わり、人間として、文明を持つ生物として、ケッ。と思っている。

「本についての見識を広げるために、本を紹介するラジオを聞く」という行為の先に、純喫茶でケーキとコーヒー、そこに純文学の適当に開いたページがいい感じの配置で写るように頑張ってる、peaceかラッキーストライクをプカプカする女の子の姿が見えたので思わずゲロ吐いちゃいそうになった! こういうストーリーをこの世から撲滅する為なら、多少の焚書運動には加担すると思う。

 

「カント」の名の友人を持つ僕は、カントの友人であることに恥じず、めちゃくちゃ動機説論者である。だからドヤ顔で車道側を歩く男を見て、「お前それほんまに車から彼女を守る気あんのか?カッコつけてるだけちゃうんけ?お???」と問い詰めたくなるし、そんな事をいちいち考えている以上、軽い気持ちでカッコイイ行為や発言が出来ないという十字架を自分にもかけてしまい、結果的に自分は子犬の表情で歩道側を平然と歩くいっちばんダサい男になっている。これほんま自分でもダサすぎるって分かってるんやけど、今さらどうしようも無い。

 

とにかく、自分は気にしすぎなくらい動機と結果、目的と行為、真意と発言の関係には慎重に生きているし、いずれも前者側がより重要であると思っている。動機説に託けて都合のいい様に言っているが、極端に言えば自分のであれ他人のであれ行為や発言自体はあんまり信用していない、というとなんか語弊がある気がするからむずいね。けど発言を信用していないと言っちゃった以上、言い回しひとつに執着するのも矛盾する気がするから、訂正はしません。

ほんで、だから僕はよく「口が悪い」等言われるけど本当はそこまで悪く思ってない時もあるし、「人の好き嫌い激しい」と言われるけど多分俺以上に人間が好きな人はその辺探してもあんまりいないと思っている。好きな子にはイタズラしちゃうタイプなので、行為の結果ではなくその真意に気付いてよ、、、と常に思っている。から勘違いしないで欲しい。中学の時、友人に「お前ひねくれてるけど、正義感は多分大分つよいよな」と言われて「そう、それなんだよ、、よく分かってくれてるじゃないか、、BIG LOVE 友よ。。。」と綺麗な涙がこぼれそうになったことがある。

 

またラジオの話から大分逸れたけど、そんなこんなで高尚な鼎談を拝聴させて頂き申し上げ奉るのは私めには恐れ多かったので普通に寝た。

 

 

何だかんだで7時半くらいに東京に着き、さっきまで寝てて昼を食べるついでに外に出て今そのままドトールでこれを書いている。

 

駅から彼女の家までの間には商店街があり、その中に見るからに信用出来ないラーメン屋がある。絶対あかん、絶対外れやから、、と思っていたが、大学卒業以来大学前のあくた川(バカウマラーメン屋)に焦がれ続け、家系ラーメンを欲し過ぎていたために誘惑に負けてその見るからにあかんラーメン屋に入ってしまった。

二郎もどきみたいなメニューがあり、最近何故か二郎を食べるリールばかり見ている僕(二郎系食べたことがない)は思わず頼みそうになったけど、普通に夜行バス明けで食べるにはしんどいんちゃう?という冷静さがあったためやめた。

結局「家系ラーメン」というメニューを頼み、脳死で「カタメ、コイメ、オオメデ、、、」とオーダーした。「家系ラーメン」てメニュー名なに?もっと言い方ない?とか思いながら出された水を飲んだ時点で、敗北が確定した。どう頑張ってもこの味の水作るん無理やってってくらい変な味の水に驚いた。インフルの一番しんどい日に味覚バグってる時のあれ。あれが無料で、平熱の状態で提供していただける。だいぶ前に霜降り明星せいやが海外で「飲める水がない、、」と言って死にかけてる動画を見て、いやいやいやいや、たかが水でそんな顔すんなよ、水なんか全部一緒やがな、 と心の中で突っ込んでいた自分に、「お前は恵まれているだけだ、琵琶湖と浄水施設があって良かったな」と伝えたい。水ってこんなに違うもんなん?

インフル2日目ウォーターを中和するために、え?って位のスピードで出てきた「家系ラーメン」のカタメ、コイメ、オオメスープを啜ると案の定12割増で気持ち悪くなった。これ全部調理実習中の中学生男子グループがちょけて作った?というアホな味に喉を突かれ、後悔した。やっぱり、大概メニューの多いラーメン屋なんか信用したらあかんねん。。あと昼休憩ないラーメン屋。ずっとあかんと分かってたはずやのに、この店はあかん要素コンプリートしてたのに、俺はなんて弱い人間なんだ。。。と猛省した。

23歳の誕生日しょっぱなから、なんで息を止めながら無理して身体に悪い飯を食ってるんや、なんでや、なんでや、、、と悲しみに苛まれながら、最終的には小学生時代のサッカーの合宿で地獄の食トレの中で身につけた、どうしても食べられない分をとりあえず汁物の底に沈めて見えなくして完食を装うという秘技を10年ぶりに発動した。

小学生時代、おからがどうしても食べられなかった結果醤油に全部溶かして、結局醤油におからが溶けてると言うよりはおからに醤油がかかってる状態の皿を見て悲しげな顔をする合宿所のおばちゃんにめちゃくちゃ罪悪感を抱いたことを覚えている。けど今回はさすがに「いや、これはお前らも大概悪いって、あんま醤油入れすぎたらあかんよ。あと水にインフルのウイルス入ってるから絶対。かなり即効性の。」と強気な姿勢で残して店を出た。

二郎もどきを避けただけ賢明だったと思う。二郎もどきを頼んでいたら今頃泣きながら二郎を食べる人のチャンネルを無差別にブロックする作業をしていたと思う。

 

 

 

東京の水が全部死んでんのかと思ったけどドトールのコーヒーはちゃんと美味しくて安心した。

 

昨日とち狂ってインスタにandymoriの16の弾き語りをあげてしまい、途中からかなり恥ずかしくなったけど今更消したら余計なんか恥ずかしない?と思って辛抱していた。やっと24時間経ってくれた、良かった。 でも褒めてくれる人もいてうれしかった。

 

本来はこのGW期間行った島のことについて書こうと思っていたのに、ラーメン屋のインパクトがデカすぎて全然違う話になった。悔しい。島のことについてはまた書く、多分。

2024,4,30 キャッチャー・イン・ザ・ライ

ずっと前から、移動時間や寝れない時に読み進めていた増子央人のブログが、ようやく2022年まできた。

少し記憶を遡れば、その時期自分が何をしていたか思い出せるくらいの頃になって、当たり前やけど「あ、なんか増子も同じ時代に生きてるんや」て実感してきた。

多分今の自分と同い年くらいの時期から始まる彼のブログを追い始めた頃には、「ここから先、どんどん生活も変わって行ってバイトも辞めて、どんな目覚ましい変化や成長が見られるんだろう」と期待していたが、案外時間が経っても、立つステージや対バン相手が着実に大きくなっていっても、増子の言ってることや生活に大きな変化はなくて、多分俺がAgeを知って「なんやこのバンド、カッコ良すぎるやろ!そら売れるで!」と興奮しているくらいの時期になっても普通にバイトを続けている様子だった。やっぱバンドとかって大変なんやなあ、俺にとってはスーパースターやのになあ、と勝手にキツめのファンみたいなことを考えながら、彼の人生と伴走している。

 

増子もこの媒体でブログを書いている(というか俺がパクって)が、何かとこのブログは使いづらくて、読むためにはリンクから飛ばなあかんし、読者側も登録せな読めへんし、割と手間がかかる。

多分もっといい方法はあるんやろけど、読む時はいつも前回読んだ最後の記事のリンクをメモ用のLINEグループに貼っておいて、次読む時はまたそこから開いて次の日付、次の日付、、、と追っていっている。なんか昔のRPGのデータ保存みたいで楽しい、知らんけど。

 

あと、案外自分の記事も読んでくれてる人がいてびっくりしている。そこそこちゃんと書いたなみたいなやつはインスタにあげているが、まさかそんな読んでくれる人がいるとは思わなかったので、結構驚いた。バイト先、サークルの先輩後輩、中高時代のやつなどに見られて大分照れ臭いが褒めてもらえるのは単純に嬉しい。人づてに感想を聞くのが一番嬉しい、直接だとかなり恥ずかしいので。

 

 

 

 

ここ数日でサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んだ。あとサリンジャーの生涯を追った映画もみた。

1週間ほど前、ピンポンの熱が冷めやらぬ中、ピンポンに関する色々な記事を読んでいると、サリンジャーの作品から台詞を引用しているものがあった。それが結構印象的で、こんな文章書く人なんやーと思ったところから、サリンジャーについて色々調べた。

ライ麦畑でつかまえて』について何も知らなかったので、元々なんか麦わら帽子被った女の子が金色の畑でニコニコしてる画しか想像していなかったが、少し調べるとどうやら全然想像しているのと違う内容らしかった。

サリンジャー自身も、「逆張りマン」みたいな書かれ方をしていたので、読んでみるか〜〜〜となった。

 

本を買ってから、原作のタイトルが The catcher in the rye  であることを知った。直訳すると「ライ麦畑のつかまえ役」なので、「つかまえて」の訳は如何に。。。と思った。あとは村上春樹が翻訳した版もあり、そちらは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』とカタカナ表記のタイトルが付けられているとのことだった。

 

本の内容は、主人公の少年(ホールデン・コールフィールド)が高校を退学になってフラフラしながら、出会う人間や出来事にキレ散らかす話をひたすらに聞かされるというものであった。

ただ、これがめちゃくちゃ良かった。

作品についての解説や感想を言うのはやはり野暮野暮野暮!て感じなのであんまり言いたくはないんやけど、めっちゃ好きやった。

と同時に、この作品の真意を理解して読むことの難しさも感じた。

 

超安易に図式化すると、少年の心を持ち続けているホールデンvs汚れた大人(社会や学校)のやり取りで、少年は出くわす事象に悉く「インチキ」と言って中指を立てるものの彼自身も不安定な故に逃避行をする、的な感じ。

まあ言ってしまえばよくある厨二病を拗らせた思春期の子供が、社会や大人に反発して、あいつらは悪者だ!的な感じで自分のことを特別だと思っているように見える。

こんな経験は誰しも少なからずしてきたものだからこそ、若者の読者にとっては「共感できる」「代弁者だ!」と自分に重ねて褒め称えて、大人にとっては「こんな若い頃もあったな」という感傷か、「世間を知らないから自己中心的な主人公が腹立たしい!終始気分が悪く共感も一切できない!」というひんしゅくを買うものになっているんだろうな、と思う。てかまあ実際に読後いろんなサイトや記事においては、せいぜいこんなもんだった。

 

けど、どちらの読者、感想も普通に浅はかできしぇ〜〜〜!!黙っとけ!!!と思った。

ホールデンほど純粋で繊細で皮肉と捻くれの効いた人間味をもつ人間なら、この本を読んで「同じこと考えてた!代弁者だ!」という安直な思いにはなり得んだろうし、だからこそ作品の一登場人物として収まるのでなく、作品と現実の読者の間にも皮肉な関係を結ぶ構図になっていて、ホールデンがそこまでリアルなキャラになっていることがすごい。ホールデンに共感していると思ってる読者自身が作品内では「インチキ」側に配置されるようになっているようで面白〜〜となった。

かく言う自分自身も、客観的に見ているようで全然真意は汲み取れていないのだろうし、結局他の感想をもつ読者を点対称の位置から指差しているだけで、作者から見た絶対値は変わらんのやと思うと悲しい。

 

パラドックス問題のようでわけわからんが、この本を真に正確に解釈することはできんだろうなと個人的には思った。これは映画でサリンジャー自身の生涯について知ると、よりそう思うようになった。そもそも解釈しようとする(解釈できると思う)こと自体自意識過剰!土足で踏み込んでくるんじゃない!というのは自分自身も人間関係において常々感じている。し、この作品はそれくらい人間らしさが浮き出ていて、それこそがこの本の魅力なんやろうと思う。とにかく、内容についてごちゃごちゃ言うよりも作品自体に篭ってるパワーを受け取りなさい!と感じる本だった。

 

というかやっぱり、ここまで書いておいて作品の良さとか感想をいちいち言葉に起こすのは気持ち悪いと思った。ホリエモンが「野菜は美味しいから食べるんだろうが!!!お前らがいちいちごちゃごちゃ言ってくんじゃねえよ!!!」とブチギレてる時と同じ気持ち。

 

 

自分自身と作品を重ねるという野暮なことをあえてするとすれば、

物語の後半、「全部に逆張りたいだけちゃうんジブン」みたいな刺さりすぎる指摘をされた主人公が、「広いライ麦畑で遊ぶ子供達がいて、その中で崖から落ちてしまいそうな子を見つけては、そういう子供が崖から落ちないようにすんでのところで捕まえる大人としての『ライ麦畑のつかまえ役』になりたい」という趣旨(そのまま引用するのはちょっとキショいので、大体の感じ)のことを言う。

これがタイトルにもなっているのだが、この表現、、天才か、、?となると同時に、「あ、自分が学校教員になりたいと思ったのはこういうことなんかもしれん」と感じた。

よりにもよって作品のタイトルにもなり、至る所で引用される箇所であり、そして軽薄な読者が最も共感した気になる段落でこんなことを感じてしまっているので、自分も一凡人としてせいぜい頑張ろうと思った。

 

あと、やっぱり『ライ麦畑でつかまえて』という誤訳は、作品を読んだらこの上ない妙訳に思えるようになった。

 

ぜひ、おすすめ。

 

 

 

 

 

2024,4,19 ピンポンとスーパーカー

Netflixでピンポンのアニメが見れるようになっていた。

数ヶ月前、古本市場で買った鉄コン筋クリートにどハマりしたことから、ゆるっと松本大洋ブームが来ていた。

 

数年前に兄が「『ピンポン』って漫画知ってるか?絵が癖あるけど漫画もアニメも実写映画もめちゃくちゃおもろいらしいねん。買おうか迷ってるんやけど」と話をしていたが、「卓球漫画がおもろい訳あるかい!ほんで変な絵やなこれ、ようみいひんわ」と突き放してしまったことをこの上なく後悔している。

 

鉄コン筋クリートですっかり松本大洋にハマってしまったことから、いろんな記事などで彼の作品について調べた。個人的には作家でも芸人でもアーティストでもなんでも、作品と作り手のバックグラウンドを無理やり結びつける感じは嫌いなのだが、なんとなく気になったので色々調べていた。ほんで大体どの記事を読んでも、ピンポンの話が出てくるもんだからここ最近はいつピンポンの漫画を買おうかという感じだった。ちょうどその時にアニメが見れるようになったので、当然一気見した。

 

アニメがあまりにも良かったので、Amazonプライムでレンタルできる実写映画の方も即レンタルしてこれもすぐみた。

いずれも、これまで見てきたものの中で群抜けに良かった。

 

これまでそれなりに漫画を読んできた中で、結局スラムダンクとキングダムの面白さに敵うものはないとあらゆる場所で主張してきたが、間違いなくこん中にピンポンも入ってくる。まだ漫画は未読やけど。とりあえずアニメの中ではブチ抜けて面白かった。

 

大学生も終えた今見てこんなにアツくなれる作品があるか!?卓球で!?11話完結やのに!?という感じ。

ペコ、スマイル、アクマ、チャイナ、ドラゴン 全員に憧れるし同情する。

才能と嫉妬と挫折にスポ根が絶妙な塩梅で入ってるおかげで、グサグサ刺さりながらも爽やかに感動を得られるバランス、神がかってる。

 

個人的な話をすると、スラムダンク以降、割と意識的にスポーツ漫画は避けて生きてきた。

というのも、高校でサッカー辞めたことに対してえげつないコンプレックスを抱えていたので、スポーツ作品含め熱い系の作品やら、それこそ高校サッカー、野球やら何かにつけて傷がゴリゴリに抉られる。と思っていた。

 

幼稚園の時にすぐ近くの公園でサッカースクールがやってたことからサッカーを初めて、そこにいためちゃくちゃサッカー上手い友達がなんかチームの中でも「育成コース」なるものに通っているらしいということを聞いて、後を追うように自分もそこに入れてもらった。

当然サッカーは当時ヘタクソだったが、親に「リフティング10回できたら入っていいよ」て言われたことで毎日めちゃくちゃ泣きながら夜までリフティングしていたことを覚えている。

やっとのことで育成チームに入ることを認めてもらえて、指導者やチームメイト、周囲の環境にも恵まれてなんだかんだでチームとしてかなり強い方になった。

依然足は遅いし体格もヒョロかったし気は弱いから多分サッカーには向いてなかったけど、リフティングだけは努力に比例して面白いほど回数が伸びてくるので、常にチーム内で一番であろうとしていた。最高記録が出たらみんなに言って、他の奴がそれを上回ったらまたアホみたいに夜まで泣きながら越えるまでリフティングして、、を繰り返して、気づいたら小4で1万回くらいできるようになっていた。それ以降は回数にこだわる雰囲気じゃなくなってきたけど、それなりの努力の甲斐あって足元のテクもなんだかんだ身についたし、何より努力を認めてもらえて上のカテゴリに呼んでもらえるようになった。

チームとしてもヘラヘラしたチームだったので、ヘラヘラしつつもサッカーがめちゃくちゃ上手い人間の中、ビクビク真面目にやってようやく張り合えるようになってたなあと思う。真面目やから副キャプテンにもなったりして、なんだかんだで上の学年でも県優勝のメンバーになれて6年生の頃も県優勝と全国大会を経験できた。

ただなんせ気が弱かったので、学年が上がってよりシビアになってくる中で敵味方問わず厳しい声が増えてくるとめちゃくちゃ萎縮して「早よ終われ終われ終われ、、、ベンチ下げてくれ下げてくれ下げてくれ、、、、」と思いながらプレーしていた。

あとは普通に当時からめちゃくちゃ隠れ厨二病だったので、「闘魂出す感じとか、競り合いとかダサいって笑」と考えていたせいで、スマートに勝つ(と当時まじで自分では思っていた)のこそがカッコいいという考えのもとで競争心たるものが見事に磨耗していった。

 

中学に入ると、小学校時代県選抜関西選抜がモリモリいるクラブチームでオドオドしながらプレーしていた自分でも部活の中ではそれなりに輝けるわけで、見事に入学直後から鼻をグングングングン伸ばし始めた。普通にいかつい人間が多かったので人間としては依然ビビり散らかしていたが、3年生のBチームの試合にも出してもらえてるし!とか思いながらBチームの試合でパスせずに自分でシュートまで打ってドヤ顔することもあった。今思えばまじで恐ろしいことをしていた。

ただやっぱり中学生の社会は怖いので、段々先輩をはじめチームメイト、部活以外の友人などいろんな目が気になりだす。どういうきっかけかはいまいち覚えていないが、中1の夏ぐらいには、元々大して上手くないくせにプライドはあって、かつミスすることを過剰に恐れるというめちゃくちゃ厄介な人間になっていたと思う。多分、よくある調子の悪い日から始まり、気付けば自覚もないくらい萎縮しながらプレーすることが当然になっていた。

小学校のリフティングの頃くらい素直に努力できれば良かったものの、相変わらず変なプライドと厨二病のおかげで、サッカー自体を投げ出してしまった。そこからは悪循環に悪循環を重ね、気づけば全国出場もベンチスタートが常になっていた。

 

まあこれくらいよくある話といえばよくある話なのだろうが、中3の夏以来、それこそ最近まで何かにつけてこのことがフラッシュバックするくらい自分にとっての後悔とコンプレックスになっている。高校に入った時も、結局びびってサッカー部ではなく軽音同好会など生ぬるいにも程がある環境を選んでしまったおかげで、一生拭えない黒歴史になった。生ぬるい中でぬくぬく育ってきてしまったことに対する後悔と怒りだけがあるので、今も自戒に自戒を重ねるような生き方をしてしまっている。

 

 

 

ピンポンの話がいつの間にか反省文になってしまった。

とにかく、作品中のペコでもスマイルでもなければ、チャイナやドラゴン、アクマにすらなりきれなかった自分にとって、自分を重ねることすらおこがましい程に彼らが輝いて見える。(自分ごときが感情移入するなとは思っているが)登場人物一人一人に共感することもあれば同情することもあり、すごく切ない。

見る前に抱いていた、コンプレックスや卑屈な感情も全部掬い上げて昇華させてくれる程全ての面で完成度がレベチの作品だから、ほんまにみんな見てくれ〜〜〜〜〜〜〜〜と思う。

 

 

実写映画の方も良かった。

これもまたI.W.G.Pを観て以来、窪塚洋介が好きになったのだが、窪塚洋介のペコ役が面白いくらいベストマッチしていた。

あとは何より、劇中で使用されていたスーパーカーの曲との相性があまりにも良かった。

 

 

 

 

 

「一番好きなバンドは?」と質問されたら、多分「スーパーカー」と答える。

他にも沢山好きなバンド、長く・多く聞いてきたバンドは山ほどあるが、一番ビビビッとくるのは間違いなくスーパーカーな気がする。

中高時代から何かとスーパーカーというバンドの存在程度は知っていたが、まともに曲を聞いたのは高校の後半から大学にかけてくらいだった。

初めは、シューゲイザーバンドとして数曲好きなものがあるというくらいだったのが、気付いたらズブズブにハマっていた。

なんと言えばわからないが、スーパーカーはどれもとても懐かしいというかノスタルジックというか、「なんか昔から聞いてたよな」みたいな感傷を与えてくる。 キッズステーションのCMでやってた、虹色のめっちゃでかいハケとか何十色もあるクレヨンとか、階段からビョンビョン落として遊ぶ虹色のバネのおもちゃとかなんかそういう系の、昔めっちゃ憧れてたものに抱いてた当時の感情がブワアっと蘇ってくる感じがする。これは懐かしさの比喩とかじゃなくて、結構まじでスーパーカーきいてたらこういう存在していたかどうかもあんま覚えてない、懐かしい景色が見える感覚になる。

 

 

ここからはきしょい個人的なドラム論 何目線やねんという指摘は承知

理由はよくわからんが、ドラム叩く時もスーパーカーの曲が一番気持ちいい。そら好きなバンドやねんから楽しいやろ、っていうのはそりゃそうやねんけど、好きとかを置いても一番没入できる感じがある。

 

ドラムをやる上での個人的なこだわりというかポリシーというかこうしたいなっていうイメージとして、コピーする曲から個人的に受けた初期衝動!みたいなのを噛み砕いてプレーに反映したい!と思っている。

言語化が難しいけど、めっちゃイキった言い回しをすると「ドラムをコピーするというよりも、一鑑賞者として曲を聴いて、その時に感じたイメージを元に再解釈して、自分ならどんなドラムを叩くか」という理想を漠然と抱いている。

やから一概に好きな曲やかっこいいと思う曲がそのまま演奏の楽しさとか気持ちよさに比例するかというとそんなことはなく、「曲としてめっちゃ好きやし、気持ちも乗って演奏もバッチバチになる曲」「聴いててかっこいいし好きやけど、それだけで演奏するには別にええかなみたいな曲」「あんま曲の良さはわからんけど、プレーしてて(テクニック的に)色々あって演奏する分にはそれなりに楽しい曲」「その他」みたいな感じで別れてる。

で、無論最高のエクスタシーを感じるのは最初のやつやねんけど、こん時はまじで自分でドラム叩いてて泣きそうになるくらい良い。

まあそんな気持ちの入り方の一つ二つで演奏を使い分けれるテクニックはないから、側からみたらただただマックスフルパワーでドラム叩いてるだけになってまうんやけど、個人的にはこれでも色々感じながら演奏しているつもり。

やから、カラオケの「音程合ってて点数が高いのと、歌が上手いのは別だ!」論じゃないけど、人の演奏とかプロのライブ見てても、「こいつらまじかっけえ!やばすぎる!アツすぎこうなりたい!!」と思う時もあれば、「上手いけどこんなんじゃ何も感じん!しょっぱい演奏してんちゃうぞダサいんじゃコラ!!」と思う時もある。その人とかバンド自体の好き嫌いの如何を問わず。

 

ほんで、これを踏まえてスーパーカーの曲はまじで演奏しててぶちキマる。

なんかスーパーカーの曲を演奏するときは、「足もつれそうになりながら突っ張って突っ張って走ってたら、気づいたら地面なくなって飛んでた!」みたいなことを感じている。ほんまに何言うてんねんって感じやけど。

ただ、よくスーパーカーの曲が「浮遊感」みたいな感じで言われているので、あながち大きくそれてもないのではないかと思っている。

曲によっても当然違うけど、なんかこんな感覚を軸に、スーパーカーの曲は聴く時も演奏する時も情景のイメージがズズズっと滲んで現れてくる感じがしてたまらん。

 

音楽の理論的なこととかコードすらも何もわからないので、何がそんなに自分の琴線に触れるどころか思い切り弾きまくってるのかはよくわからん。ただ、一ド素人の考察としては、絶妙な余白が曲のイメージを増幅させているのではないかと!考えている

楽器の入り方、歌い方、歌詞、それぞれにある言葉足らずな部分がちょうど良すぎる気がしている。

 

そう考えると、ピンポンはじめ松本大洋の作品も、余白が多いところが好きなのかもしれない。

アクマの「少し泣く」は多分四文字の日本語の中で一番かっこいい。間違いなく。

 

 

 

作品についてペラペラ薄く語る素人を弾圧する部隊の隊長なので、これ以上のうっすい言及はしない。

なんせ、この世で嫌いな人種の一位が「M−1の漫才中に喋る人間」二位が「M−1の漫才後に講評する人間」(M−1に限らないが)なほど「素人は黙っとれ!!!!」論者なので。

 

 

 

話が縦横無尽に逸れたが、ピンポンとスーパーカー、あまりにも良い。人生の殿堂入り。

2024,4,12 重力ピエロ 生きるためのサッカー 老人と海

この1週間で三冊の本を読んだ。

同じものを一つに絞って読み続けるとすぐ飽きるので、最近は何冊も並行して読み進めている。

 

重力ピエロ/伊坂幸太郎

生きるためのサッカー/ネルソン松原

老人と海/ヘミングウェイ

 

多分人生で初めて好きになった作家が伊坂幸太郎で、その中でも初めて知った作品が重力ピエロだった気がする。

タイトルのキャッチーさにより始めに目についたが、小学生の自分にはあんまり分からなくてすぐに読むのをやめてしまったままだった。

それから高学年・中高大と一通り伊坂作品は何かしらの形でほとんど網羅したが、重力ピエロはなんか読んでなかった。部屋の整理をした時に出てきたからようやく読む気になった。

多分、自分が何かしら文章を書くときの全体としての雰囲気や洒落の入れ方は伊坂幸太郎を意識している気がする。当然足元にも及ばないが、なんとなく文章のモデルとして抱いている。それだけあって、やはり多少重いテーマでも軽快でズンズン読めていける伊坂作品の面白さを痛感した。読書感想文は苦手なので内容に関して特に書き出すことはないが、面白かった。

そういえば伊坂幸太郎の作品ではビートルズ斉藤和義の名前・曲名が頻繁に出てくる。自分がビートルズやオアシスなどに触れるきっかけは『ゴールデンスランバー』を読んだことだったと思う。今でもビートルズの中ではゴールデンスランバーが一番好きな曲だ。

 

『生きるためのサッカー』は、日本で初めてサッカー留学生として日本に来た日系ブラジル人の方の自伝本である。大学の卒業式の日、ゼミの先生が下さった本だった。自伝本は大学の課題でマララユスフザイのものを読んだ以来だったと思う。めちゃくちゃ失礼やけど大学の先生が勧める、それもみんなに配布するレベルということと、ただの移民の自伝本であるということがなんかミスマッチな感じがして、どれ読んでやろうじゃないかという感じで読んだ。 これも思っていたより面白かった。

 

 

今日はバイト前に周辺で勉強した。交通費ですら惜しいほどの金欠なので、バイトのためだけに移動するのが勿体無いと思ったから5時間くらい早くきてスタバのテラス席で世界史の勉強をしていた。大学受験で一度一通り勉強したとはいえ、ほとんど全て忘れてしまっていると思いきや、やってみると点は残っているもので割とスラスラ進んだ。

授業動画を見るためのiPadが電池切れになってしまったので、休憩がてら近くのブックオフに行った。

なんとなく外国人作家の棚に行くと、目の前にヘミングウェイの『老人と海』があったので、読んでおこうと思い手に取った。すぐ近くにゲーテの『ファウスト』も並んでいたので、それもなんとなく買った。それぞれGalileo Galileoとブッチャーズの曲名になっている作品なので親近感があった。あとは大学一回生の時にイキって履修したドイツ文学の授業でゲーテの『若きウェルテルの悩み』は読んだことがあり、しかも直後に授業で行ったビブリオバトルもイキって同作品で臨んだ結果学科内で準優勝してしまったという経験があったので、あの時は世話になったな、賢そうな雰囲気出すための道具に使ってごめんな、という気持ちでゲーテも買っておいた。

老人と海は、100ページちょっとの短い小説だった。老人がめちゃくちゃデカいカジキを釣るために何日も闘って、ようやく釣れたと思ったらサメに追われてボロボロになりながら帰るというだけのストーリーだったが、これはかなり面白かった。ハードボイルドなおっさんが、めちゃくちゃ丁寧な条件描写とかしながらひたすら踏ん張るだけで面白いのすごい。名作と言われるだけあってやっぱり短い割に印象に残る本だった。

 

交通費を有効活用するために早よ行ったのに、結局スタバと本二冊分の出費してしまった。バイト前に腹減りすぎてもマクドに寄るのだけは我慢した。110円で名作小説が買えるという事実に触れるたびに、自販機やコンビニにふらっと寄ることがいかに無駄かを実感させられる。

結局バイト終わりに30円オフのななチキを食べてしまった。悔しい。

2024,4,5-8 能登半島

桜がいい具合に咲いてきた。

社会人になった友人達が初めての週末を迎えて飲みに行ったり愚痴を言ってるストーリーがたくさん流れてきて、なんとなくやっぱりソワソワする感じがする。

 

一月に能登半島地震が起きて以降、所属団体のディレクターや周囲の人たちが個人的に様々な形で災害支援を続けている。この三ヶ月間で彼らが何度も神戸と能登半島を行き来して現地のスタッフ・ボランティアの方々などとやり取りをする中でできた繋がりから、今回自分も初めて能登半島に行った。

 

今回、災害支援に行くにあたってかなり迷いはあった。

これまでのボランティア活動や私生活の中での動機として大きかったのが、「自分がこうありたい・役立ちたい」という純粋な気持ちというよりもむしろ、電車や大学で何も考えず無責任にフラフラしているおっさんや大学生を見て「こうはなりたくない」と思うところからくるものであった。

 

高校時代、通学中に駅で誰もが見える位置に明らかに落とし物の鞄があるのに、全員そこを避けて見て見ぬふりをする場面に遭った。その鞄を駅員に届けようとしたら、戻ってきたであろう持ち主が「それ、僕のなので」と自分の手から乱暴にぶん取って行ったことがある。

高校帰りの電車内で、まだ中身の入ったコーヒー缶が電車の動きに合わせて車両内をずっと転がっている場面に遭った。コーヒーをぶち撒けながら何駅分も放置されている缶と、水溜りを避けて車両を移動していくおっさんが見ていられなかったので、自分が降りる時にゴミ箱に捨てて帰った。その時に、一緒にいた友人に「お前、えらいな」と言われて無性に腹が立ったことがある。

全部、ただの善意ではなかったと思う。こんなしょうもないことをわざわざ無視して誰かに押し付けてる奴らがきしょすぎて、そいつらへの当てつけとして自分が処理をした、の方が正しいと思う。本当に些細な出来事であったが、自分の動機の不純さとそれに気づかず「えらい」と言ってくる存在の違和感があまりにも印象的で、ことあるごとに思い出す。

 

ただ今もそれはあんまり変わってなくて、何か選択をするときに「こうしたい」「こうありたい」という選び方ではなく「こんなんにはなりたくない」という消去法と義務感に駆られることが多い。

結果的にそれが誰かのためになっていたとして、完全な利他精神ではなく利己的な利他であるという気持ち悪さが未だにある。大学四年間で、少しづつ「誰かのために」という純粋な思いに触れる機会もある一方、常に「結局それってただの自己満ちゃうん」という考えが浮き沈みしている。

 

そんなこんなで、自分が災害支援に行くかどうか考えた時に、こんな仮言命法でのボランティア活動が果たして誰のためになるんだ、と思った。「就活で使えるから」と安易にボランティア活動に参加してちょうど良くエンジョイしてる人間と何が違うねん、と思った。

結局、断る勇気も無く、あるいは「ボランティア活動しない自分」になる道を避けるために、今回災害支援に行くことにした。

 

 

 

5日の夜に能登七尾駅に集合であったため、昼行便バスで京都から金沢まで向かった。

今回能登で活動するにあたり、これまでの災害の経緯や現状を知っておかないと、と思い、バスの乗車中は情報収集をしていた。隣に座った、恐らく金沢に帰る最中である大学生らしき男は、MacBookの大画面で5時間ずっと違法漫画サイトと風俗の情報を見ていた。

 

金沢から電車で1時間半、七尾駅に降り立つと、すぐに地震の影響が至る所に見られた。地面の煉瓦は割れて盛り上がり、ガラスの割れた建物もあった。

一緒に移動していた友人が、「ばあちゃんが石川に住んでて、嫌なことがあったら七尾の海までバスで来てストレス発散するねんて」と話をしていた。ヘッドライトで照らしながら海まで向かうと、当然ではあるが駅前よりも酷い様子だった。ベンチが設置されていたであろう部分が、地面ごと大きく海に張り出していた。

よく災害直後の夜空は驚くほど綺麗だったという話を聞くが、その時も空がめちゃくちゃ綺麗だった。あんなに星をはっきり見たのは久々だと思う。

 

七尾駅から、自分達の活動拠点まではさらに車で1時間半ほどの場所にあった。道中、地割れや隆起、土砂崩れの影響で常に道は悪く、乗っていたハイエースはずっとバウンドしながら進んでいた。地震から三ヶ月が経ち、ようやくインフラは突貫工事で整備されつつあるものの、マーブル色のアスファルトや宙に浮いた状態のガードレール、不自然に浮き沈みしている道路は災害の影響を強く感じさせた。

グーグルマップはすごいもので、通行量などの交通情報をリアルタイムで収集するおかげで、交通量の激減=道路状況の異常 と判断してその道を避けるようになっているらしい。おかげで道が途中で完全に遮断されるということはなかった。

 

深夜の1時ごろに、宿泊先に到着した。ボランティアセンターのすぐ隣に位置する、旧消防団詰所を拠点として提供して頂いた。

本来、現在も県外からのボランティアは受け入れていない(受け入れ先や食糧・水等の問題による)が、企業や団体であれば、一定の条件を満たした上で様々な登録を経て県外からも参加できるということだった。

我々は普段野外でキャンプをしている為、食事や水の使用等、全て自分達の責任の内で自己完結できるということで受け入れて頂けた。ただ、ここに至るまでにも二ヶ月以上要しており、行政や組織の難しさを感じた。今回の復興の手際の悪さには、やはりボランティアの扱いが大きな要因としてあるという。不要不急の支援を牽制したところ、必要緊急の支援すら行き届いていないという印象を受けた。

 

活動の流れとしては、各地域に設けられたボランティアセンターに向かい、人数や力量に合った被災者からの依頼とのマッチングを受ける。依頼に応じて、トラックなども出しながら適切なチーム編成が行われ、依頼者の要望を聞き取りながら現地で活動を行うというものであった。現状、最低限のインフラの復旧は出来たが瓦礫の撤去などが何一つ進んでいないため、主に居住地域における瓦礫の撤去・運搬がメインの活動であった。住居によって被害の幅はあるものの、津波で一階部分が丸ごと持って行かれた家や、煉瓦が崩壊したために雨漏りがひどく、家中水とカビに侵食された住居、大きな岩が思いきり突っ込んだ寺などに向かった。

 

 

 

以下、団体のメンバーが作成した報告文

 

B日程 1日目
4月6日(土)8:45-14:30 作業 
地区 さん宅
 今日は朝から夕方まで、さん宅にて、倒壊家屋の外に出してある災害廃棄物の分類、撤去、運搬をしました。
 玄関の前には、倒壊した家屋のがれきや木材、家電、家具、割れたガラスや食器などの災害廃棄物が山になっていました。そして、倒壊した家屋の木材は、非常に重い柱、釘がささった状態がほとんどで、20歳前後の私たちでもかなりの力仕事だと感じる程でした。しかし、ご夫婦が代わる代わる私たちの作業しているところを歩き周りながら、「ほんと、助かります。ほんと、ありがとうございますね。」と声をかけてくださいました。ほとんどが捨てるものとお聞きしていたけれど、途中、やはりとっておきたいと最後に伝えてくださるものもあり、その度に、私たちが今関わらせてもらっているものは、宮本さんたちの生きたすべてであることを感じ、なんだかこう、ぐっときました。
 昼後は作業の休憩も兼ねて、白丸公民館を伺いました。そこでは、さんから、新しい仮設住宅のお話しや津波が来た時のお話しをききました。
 旦那さんが、「能登はやさしさ土までも」このことわざを教えてくれました。その言葉の通り、さんは生まれも育ちも能登、海が好きで海が遊び場で夢は海の仕事をすること、その夢を叶え定年した今もそしてこれからも能登に住み続ける、そう仰っていました。それまで笑顔で元気だった奥さんは帰る時、突然溢れんばかりの涙を流して「本当に皆さんが来てくれて助かった、有難う。  でも、情けないね。」と言っておられ、そんなこと、絶対思わせてはいけないと思いました。今日は、災害廃棄物の撤去を主にさせてもらって、それらは一件形もなくて崩れていてはやく撤去した方がいいと思うかもしれないけど、私たちはさんの思い出がつまった家なんだ、ってことを手を動かしながら絶対忘れてはいけない、そう思い、言葉を交わしながら作業をすること、とても大切だと思いました。

 

B日程 2日目
4月7日(日) 8:30〜12:00作業
地区 寺(真言宗) さん宅
作業内容: 家屋周辺の屋根瓦片付け、落下物、木材撤去、ウッドデッキの解体撤去

立派な日本家屋のお寺の本殿と、隣接した住居の周りには、地震によって落ちて割れた沢山の瓦があり、主にその撤去作業。住職のお父さんとお母さん、息子さんご夫婦と作業を行った。
「自分たちでやるつもりだったんだけど、限界でお願いしました。」申し訳なさそうに出てこられたお母さん。段々と綺麗になっていき、「やっぱりこっちも、これも運んで欲しい」と表情も明るくなった。軽トラで7回分の瓦、Yバン満載の網戸・撤去したウッドデッキの木材の運搬。「元々1日で終わらないと言われていたのに、午前中で終わるなんて思ってませんでした。本当にありがとうございます。」【完了】


12:45〜15:30作業 【継続】
地区 さん宅
作業内容:津波で流れた瓦礫の撤去と運搬、家具の取り壊しと運搬、瓦礫の分別

納屋と母屋の一階部分は家具、家電、衣類すべてが海水と泥で汚れ、隣の家の家具などが流れ着いている状態。車を3台停めるためにまず駐車場を綺麗にして欲しいと始まった作業。母屋で家具の取り壊し運搬。泥の中から出てくる想い出の品。母子手帳や写真は家主に聞き、処分。涙目で作業を見守っていた。庭では津波の影響で絡まり合った瓦礫の分別。15時の集積所終了時間後、次回のボランティアが作業しやすいように分別・整理整頓。軽トラ5回、Yバン満載1回。【継続】

【さん】
さんご家族と瓦礫の撤去を一緒に行う中で、地震後すぐにご本尊をたてに倒壊した家屋に戻られたという話を聞きました。上日寺は細くて急な坂道を登った先に森に囲まれた450-500年の歴史があるお寺です。
ボランティアは住居での活動が優先だ、ということで自分たちで作業をされてきたそうですが、今回お手伝いをしてそれがどれだけ大変だったのかということを感じました。瓦は分厚く1枚1枚が非常に重く。「何回か腰が砕けたかと思ったわ」と笑って話すお父さん。今回男手が7人いる中でも大変な体力を使う作業でした。
「1月1日から時が止まってるんだよ」このお母さんの言葉の通り、家に突っ込んだ大きな石も、割れた窓も、落ちている瓦も、全てがその時の一瞬の地震によって起こり、そこで止まっていると感じました。
「来てくれて本当にありがとうございました。こんなに綺麗になるなんて思ってなかったです。お願いしてよかった。」またこのお寺、ご家族の時間が動き出すお手伝いができたことが何よりも嬉しかったです。

【さん】
口数少なく、涙目でウロウロされていたお父さん。片付けも、「もう取り壊すだけやから大きいの退けてもらうだけで大丈夫です」と。泥の中から出てきたさつまいもやにんじん、聞いてみると「農家だからこれは作ったんや」と少し笑みを浮かべて話をされていました。瓦礫の中から出てきた写真には娘さんの結婚式で一緒に写っているお父さん。自分たちにできることは、と改めて心が締め付けられ、力が入った瞬間でした。

 

4月8日(月) 8:50~13:30 作業
地区 さん宅
準半壊の判定がでているお宅での作業。割れ物、瓦の廃棄。大型家電なども一緒に使えないものは廃棄。判定は終わっていないが瓦が外れ、雨漏りのためカビと木材が腐っており、二階には侵入不可能。襖、畳、カーペット、仏壇、外回りの園芸用具、瓦の撤去、床下収納の瓶類の廃棄。2トントラック3回満載、Yバン2回。
雨に濡れたことで家の中全体が水浸しで、カビが生えている中での作業。濡れた畳などは重く男手の活躍。【完了】

明るめの声で話されているけど、やっぱりどこか元気のないお母さん。「ほんとは住みたいけど、難しいよね。」と生まれ育った能登だからと丁寧に作業されておられました。額縁に入った、女性の顔が載った新聞を見つけると「これ、私なんだよ」とふっと張っておられていた気が軽くなるように笑っておられました。子ども服の責任者をされていたみたいです。帰る時に「きれいにしてくれてありがとう」と深々とお礼をされました。何回もボランティアが入っておられ、やっと終わりが見えたように精神的にも果てしないなと思いました。全てを感じ取ることはできないけど、少しでも元気がでるように動きたいです。

 

 

 

男手は瓦や箪笥など力仕事が山積みであったためあまり被災者の方と直接話す機会はなかった。

しかしその中でも、泥と瓦礫の山で彼らの家族や友人との写真、母子手帳や旦那さんの遺骨、仏壇などを見た時は胸が締め付けられた。

一つ一つを名残惜しそうに眺め、一見ガラクタのように見えるものですら、苦虫を噛み潰した顔で「これもどうにもならんから、捨ててしまってください。仕方ないです。」と話す表情は忘れられなかった。

 

正直言って地震発生から三ヶ月経過しているとは到底思えない景色だった。現状でボランティアセンターへの依頼はその地域だけでも700件を超えるという。 長年住んだ家、ましてや高齢者の方が多い中、ぐちゃぐちゃになった自分の家や思い出の品を自分の手で片付けるなんて想像に耐えない。作業量としても途方もないが、それ以上に精神的に背負い切れるものではないだろう、と思う。この三ヶ月間、その絶望の中で支援を待っていたのか、まだ700件以上もそのような人たちがいるのか、と考えると、やるせなくなった。

また、二日目に向かった寺の息子さんは非常に明るく聡明な方で、我々と一緒に声を出しながら作業を手伝ってくださった。被災前は、キャンプや登山に没頭していたエネルギッシュな方だった。作業が終わり、改めて依頼書を読むと「初めは遠慮して自分達でなんとかしようと思いましたが、限界でした」と書いてあった。あんな人でも「限界」に感じるほどの辛さは、自分には想像できなかった。

また、その方も「被災直後は、当てつけかと思うほど景色が綺麗だった。星も空も、息をのむ美しさで涙がでた」と話をしてくださった。

 

 

二日目には、より被害の大きな地域の避難所を訪問した。所属団体の、富山支部の方が運営する避難所であった。

テレビでよく聞く輪島に位置するその避難所周辺は、我々でも立ち入りが禁止されるレベルの倒壊家屋で溢れていた。トイレやお風呂も仮設トラックで、避難所では弁当で栄養補給としての食事を摂っているという。

人気の無い廃れた街を抜け、避難所である小中学校の前を通ると、小学校中学年くらいの女の子が、低学年かそれより小さいくらいの男の子と女の子の手を引いて楽しそうに走り回っていた。思えば、能登に来て初めて子供の姿を見た。 想像以上の惨状に唖然とする自分達とは対照的に、無邪気に笑う子供達の後ろ姿はとても印象的だった。

避難所となっている木造の学校は、まだ木の香りがするほど新しく綺麗な建物で、教室前の掲示物や発表資料がそのままに残されていた。この地域の子どもたちは、翌日から学校が始まるということだった。

 

 

帰り際、バンの中でディレクターが「普段やってることが初めて役に立ったな。お前らも初めてちょっとは人の役に立てたんちゃう。生きてて良かったやん」と言っていた。普段鬼監督のようで、男子を褒めることはほとんど無いディレクターからの冗談まじりの褒め言葉は嬉しかった。また、「やっぱり、自分の為じゃあんなに動けへんよ。今回も被災者の方と話したら頑張ろうって一層思えるようになったみたいに、誰かのためにじゃないとこんなに力を出すことはできないから。」と言っていた。

自己満足で利己的な利他精神からボランティアに参加していたつもりだったが、途中からは現地の方達の役に立てること、直接これまで受けたことがないくらい大きな感謝をしていただけること自体が喜びになっていたような気もするな、と気づいた。 

 

よく考えたら諸々合わせて2万近く自費をかけて一日中働いたこの数日を振り返って、「来て本当によかった」という思いが始めにくるだけ、少しはマシな人間になってきているのかもしれない。

 

今回の能登を踏まえて、もっと現地の方の役に立てるようになりたい、と思うと同時に、今現在自分の周りにいる人たちもこれまで以上に大切にしないといけないな、と感じた。これはありきたりすぎて不要な感想だったかも知れない。

 

 

今乗ってる阪急でちょうどBeRealが来た。

向かいの女子大生が車内でぶつぶつ言ってるヤバめのおっさんの隠し撮りをしてニヤニヤしてる。ウケると思ってるんか知らんけどそういうお前の汚さもハッキリ写してて確かにこの上なくBeRealやな。皮肉やな。こんなやつにはならんとこ。 と思った。

 

 

 

 

2024,4,4 一年の土台作り

2日の夜に、東京から帰ってきた

 

重要な年度の初めなので、やはり初めが肝心ということでこの二日間は今後の計画の土台を作ることにした。

 

まず、教員採用の試験日程や募集要項のまとめと、ついでに教員用のエージェントサイトにも登録を行った。

基本的には関東の私立中高を中心に見ているが、案外募集は始まっているもので想像以上に早めから就活に向けたスパートを持ってこなければならなそう。

私立の教員採用時期は薄く広く伸びているので、この年内はなんだかんだでずっと就活(教員の)をすることになるんだろうなという感じ。

 

そう考えると、ここまで勉強してこなかったことにかなり焦りを覚え、ようやく社会科の勉強にちゃんと手を出し始めた。

中学時代の教科書、高校の日本史を噛み砕いた教材に資料集、図録を開いて照らし合わせながら、まずは高校入試レベルをおさらいする。その後高校教材に移り、中学教材で作った要所要所のポイントを補強し、センターレベルまで持っていく。。。

これを地歴公民分やる。。。と考えたらかなり時間がない。まあそこまで完璧にしていく必要はないのだろうけど、どうせ来年までには一通り教えられるようになっておかないといけないので、やるからにはちゃんとやろうという感じ。

自分は大学受験の時に社会をおざなりもおざなりにしていたので、その時のツケが返ってきている。センターの悪夢だけで十分痛い目は見たはずやのに。。。

 

の一方で、最初の記事で書いたように科目だけできたところでこの一年の意味は全くない。

今年度上半期は就活と勉強+バイトでお金を貯めた後、下半期にデカい計画を持って来れたらとは考えているが、早いうちからいろんな布石は打っておいた方が良い。

年間計画のうち、大きな軸として考えているのが、wooffという簡単に言えば農業番ワーホリみたいなもの。

金銭の発生はなく、双方向的なギフトで成り立つ御恩と奉公的なシステムで動いている。我々は主に有機農家の方のもとで数日間〜数週間仕事の手伝いをし、代わりに受け入れ先の方々は宿泊先や食事、さまざまなお話を伺う機会を与えてくださるという感じ。

農業そのものに大きく関心があるわけではないが、農業を営む方々の話や、このようなプロジェクトを受け入れている理由など、そこに関わる人の話に強く興味がある。これも大学の先生に教えてもらったものであるが、ぜひいろんな場に行って面白い経験ができたらと考えている。

 

ということで、wooffの登録も行った。なんか4月中は平日毎日バイトを入れられてしまったため、5月以降間を縫っては活動できたらいいなと考えている。

 

明日からは能登半島に向かう。8日の夕方までと比較的短い期間だが、自分の目で被災地の状況を知ることと初めての災害ボランティア活動に入り込む絶好の機会なので、しっかりと焼き付けて来れたらと思う。